すっぽり雪の中
14日から雪が降り続けて、里にも雪が積もりだしました。
15日朝、初雪景色にはしゃぎ、と同時に日増しに厳しくなる冷え込みにめげそうになりました。
16日朝、いよいよあたり一面すっぽり雪に包まれました。出勤前に除雪車が来ておらず、また倒木の影響で一瞬だけれど停電となり…
昨年も一昨年も少雪だったので、本格的な雪生活は未経験に近く、なおかつ今年は新しい生活環境で、勝手が見通せず終始そわそわおろおろ。
畑じまいもしていなかったので、白菜も大根もほうれん草もみんな雪の中。この子たちを早く救出したほうがいいのか、もうあきらめたほうがいいのか…
冬支度も寒さ対策も何となくはしていたけれど、今思えば「まだ大丈夫」とどこかで思っていてきちんとはしておらず、今になって「あれがない」「これが準備できていない」と焦っています。
また、昨年までは徒歩通勤、運転は限られたときだけだったので、たとえ数キロとはいえ、毎日雪道運転は、慣れず緊張します。毎日何十キロも雪道を運転している方々は何てすごいのでしょうと改めて思います。
それでも、針葉樹に雪が積もる姿は愛らしく、童話の世界のようで、何度窓の外を見ても心ときめきます。
天気予報によると週末も大雪になるおそれとなっているので、できる備えをしておこうと思います。そして、無事に冬が越せますようにと願うばかりです。
移住者インタビューその16
田上 敏明さん(34歳)
埼玉県久喜市出身。2006年から写真撮影で会津地域へと通い始め、2013年頃からは三島町に足繁く通い、ちょうど令和の始まりとともに三島町へ移住。現在は会社勤めのかたわら、趣味の写真撮影や山歩きを満喫されています。
三島町へ通うようになったいきさつ
奥会津との出会いは、小学生の頃、列車の旅で只見線に乗車して訪れたのが初めてだったと記憶しています。その時のことはあまり覚えていないのですが、その後、夏の家族旅行で訪れた際には、夜の金山町でホタルの乱舞を見て感動したことが今でも心に残っています。久喜市では開発の影響によりホタルを見る機会がありませんでした。
時を経て、2006年頃からいわゆる「撮り鉄」として、国鉄時代の車両を求めて会津地域へ通うようになりました。最初の頃は、年に一度のペースで紅葉の時期にSLなどのイベント列車を撮りに来ていました。
そのうちに会津に撮り鉄仲間ができ、只見線沿線に通う頻度が増え、2013年頃からは毎月第2、第4週の土日に観光協会からんころん内で営業される「みやした蕎麦と豆腐の会」のみなさんと出会い、当時売り出し始めたばかりの「アーチ三兄弟」が撮れるポイントを教えていただきました。また、その時に食べたそばがあまりに美味しく、そばの日の度にからんころんへ立ち寄るようになっていったので、地元の方とも顔なじみになり、いつしか写真撮影というよりは、地元の方々というか親戚に会いに行く感覚で通うようになっていきました。
只見線は何といっても景色がよく、三島町だけでもよいポイントがたくさんあります。撮影の待ち時間などに周囲を見ながら、いい写真が撮れそうな場所の目星をつけ、あとで地形図を見て歩きやすそうなルートを探しながらポイントを開拓しています。そのため、道なき道を1時間以上藪漕ぎして不発に終わることもあれば、思った通りのポイントが見つかって大喜びすることもあり、さらに「今度はあっちへ行ってみよう」と次々と行きたい場所が見つかるので、撮影ポイントが増えすぎて回りきれないのが悩みの種です。ただ、車を停める場所がなかったり、道が整備されていないため、なかなか人に紹介できないのが現状です。今はきれいに整備されましたが、整備される以前から第一橋梁のポイントにも足繁く通っていました。
通い始めた頃は、只見線の列車を大きく入れて撮影していましたが、次第に「○○と只見線」といった感じで、列車を脇役にしてサイノカミ(無病息災、五穀豊穣を祈る小正月の伝統行事)や例大祭などの行事と列車を絡めたり、目を凝らして探さないと列車が見つからない様な写真ばかり撮るようになりました。
三島町へ移住した理由
数年前からどこかに移住したいといった思いがあり、三島町の他にも移住先の候補は幾つかありました。ただ、自分は人見知りがあり、自分から人に話しかけるのが苦手な方なので、知らない土地で暮らすことには不安がありました。その点、三島町は通い続けただけあって地元の方々から話しかけてもらえる機会も増え、サイノカミなどの地元の行事に参加しても疎外感がなく、三島町へ移住する決心がつきました。
会津の人の気風を表す言葉として「会津の三泣き」というものがありますが、自分にとっての一泣きはありませんでした。
*「会津の三泣き」とは
(一)初めて会津に来た人は、よそ者に対する会津人のとっつきにくさに泣き
(二)やがて会津での生活になれてくると、温かな心と人情に触れて泣き
(三)そして最後、会津を去るときには、離れがたくて三度目の涙を流す
移住してよかったこと
移住前は写真撮影の都合で夜は季節を問わず車中泊、渋滞を避けるため深夜・早朝の時間帯に帰宅することが多かったので、その必要がなくなったのは何よりよかったことです。移住の意思を固めてから実行に移すまでの期間が短かったこともあり、転職先が決まるのは早かったですが、住居が決まるまでには色々なことがあったので、今は住宅問題も落ち着きホッとしているところです。移住したといっても、平日は町外に通勤しているため、町内の方と会うのは殆ど休日になるので、その点は移住前と大きく変わっていない感じがしています。
移住したことによって、天気の状況次第で仕事前や帰宅前に写真を撮りに行ったり、休日も急に思い立って飯豊山など健脚向けの山に登ったりする機会が圧倒的に増えました。
そのほかにも夏場にはアカショウビンやキビタキ、オオルリといった野鳥の美しいさえずりを自宅からでも聴くことができて、天気のよい夜は満点の星空に天の川が肉眼でもわかるような環境での生活は、都会では体験できないとても贅沢なことだと思っています。
また、「気になったことは自分の目で確かめたい」という思いがあり、地形図を見て気になっていた町内にある28箇所の三角点巡りを実行しました。(三角点とは三角測量の基準点で、地形図や国土地理院のホームページ「基準点成果等閲覧サービス」で確認することができ、閲覧サービスで確認できる28箇所を三角点巡りの対象としました。)基本的には自宅から歩いて回り、長いときは日の出前から日没過ぎまで30km以上歩くこともありました。三角点をすべて回るのにおよそ4ヶ月で200km近く歩きました。
歩くことによって車では行けない場所や見落としてしまうような発見も多々あり、楽しみが尽きません。観光資源としてよさそうな場所も幾つかありましたが、先ほどもお伝えした通り、整備されていない場所ばかりなのが勿体ないところです。
以前の生活と比べ「近くにカメラ用品や登山用品などの大型専門店がない」、「夕方以降に外食できる場所が少ない」、「住民サービスなどで不便を感じる」ということはありますが、特に大きな問題でもないので、不便なことも含めて楽しく生活しています。
気がかりなことといえば、冬の暮らしが心配です。昨シーズンは例年にない小雪で、本格的な雪の中での生活は経験できませんでした。通っている頃に大雪や背丈以上の雪壁に遭遇するようなこともありましたが、日常生活での雪となると勝手が違うので、雪に関する心配事が尽きません。逆に本格的な冬を乗り越えられたら長く住み続けられる自信に繋がるのではないかと思っています。近くに温泉もあるので、寒い日は特に助かっています。
最後に只見線の車両が新しくなって、写真を撮る頻度が減った分、山歩きの機会が大幅に増えたこともあり、思ったより早く三角点巡りも終わってしまいましたが、町内で未踏の地域もまだまだ残っているので、今後も新たな発見を求めて町内様々な場所を歩き回ろうと思っています。もし長靴にリュック姿で歩きまわっている人を見かけたら、それはきっと自分だと思います。変わり者かもしれませんが怪しい者ではありませんので、どうか温かい目で見守ってやってください。
インタビューを終えて
地元の方も移住者の方も、ここで暮らす方々は自分で楽しみを見つける技に長けていなと常日頃感じていますが、田上さんのお話は私が想像できる以上のことで、こんな楽しみ方もあるんだと新鮮な感動を覚えました。冒険の舞台というとアラスカや南極大陸などを思い浮かべますが、三角点巡りや藪漕ぎしながらのポイント開拓は、生活圏でも冒険できるという発想の転換につなががり、私の世界もふっと広がった気がします。そして、改めて三島町のポテンシャルの高さというか、懐の大きさを感じる時間でもありました。只見線から始まって、よりディープな世界へと進んでいく田上さんの冒険が、今度はどこへ向かうのか今後の展開が楽しみです。
わらび餅作り
先日、本わらび粉でわらび餅を作る機会に恵まれました。
わらび粉は、わらびの根から取り出したデンプンを乾燥して作られますが、手間ひまがかかるうえに収量が少ないため、本わらび粉100%のわらび餅は希少品であり、高級品。私たちが普段食べるからわらび餅は芋類などのデンプンが混ぜ合わされていると聞きます。
山菜の宝庫奥会津では、春から初夏にかけてたくさんのわらびが採れ、人によっては山からわらびを移植し、わらび畑を持っている人もいるくらいです。私はわらび餅が好物の一つで、初めてわらび畑を目にしたときから、このわらびで本わらび餅を作りたいものだとふつふつ想い巡らせていたのですが、今回ようやくその機会到来です。
あいにく、今回はわらびの根を掘るところから参戦することができなかったのですが、地元の方と友人が一週間前に根を掘って抽出したわらび粉100%を使用。
この粉に水と砂糖を加え、混ぜながら火にかけると、次第に塊ができ、とろみがつき出します。さらに混ぜ続けると、固まってきて、透明度も増し、いよいよお餅になります。
ちょうどいい硬さになったら、きな粉を広げたバットの上に乗せて出来上がり。その美味しさといったら、風味豊かでぷるぷる、ほっぺたが落ちそうにとろける美味しさで、感動ものでした。
調理自体はいたってシンプルな材料と手順であっという間。やはり、粉を抽出するのが一大作業なのだと知りました。今回は大事なその部分ができず残念でしたが、ここに暮していると、本物に触れ、味わう機会が身近にあることが改めてありがたく、幸せだなと感じた体験でした。
本物の中には手間ひまかかり今はやらなくなってしまったことも多くありますが、楽しみながらできることは、これからも色々学ばせてもらいながら、自分のものにしていきたいなと思います。
果樹の剪定
すっかり寒くなり、朝は家のなかも5℃以下になる日が増えてきましたが、山の上は雪がかぶっても、まだ里の方には雪は積もりません。
晴れていると思ったら、灰色雲が出てきて雨が降り出し、しばらくすると再び日が差してぽかぽか陽気とお天気がくるくる変わりやすい日々。
天気の合間を見て、ずっと気を揉んでいたキウイと梅の剪定をようやく終えました。
ここらへんは雪が多いため、剪定しないと雪の重みでキウイ棚はみんなつぶれてしまうそうです。
うちの棚もずいぶん傾いていますが、今のところは、何とか持ちこたえており、今年それなりに実をつけてくれました。
来年はもっと大きな実をたくさん採れるようにと張り切って作業。
雪が下に落ちるようばんばん剪定するよう指導されましたが、なにぶん剪定なんてほとんど経験がないので、最初はおっかなびっくり。
それでもやっていると「ここは絡みすぎている」「この枝は残そう」など、何となくわかるような気にもになってきて…さて、これが吉と出るか凶と出るか、来年が楽しみです。
「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と言われるそうで、梅の木もバッサリ切っていいと言われましたが、あまりに高く生長していて、私の手には負えず…
庭から梅の実を収穫して梅酒・梅シロップを作れるなんて、なんて素敵なのでしょうと憧れますが、今年は途中で断念となりそうです。
そして、切った枝をうまく片付けるまでの余力がないのが現状ですが、それでもこうして自分でも果樹の剪定ができるとわかると、ふつふつと自信に。
次は最後まで剪定できるように、枝をそれなりに片付けられるように(できれば薪になるとなおよし)なりたいと思うと、ここでの暮らしは次々にやりたいこと・できるようになりたいことが出てきて、飽きることがなかく、面白いなぁと改めて思います。
晩秋は忙しい
昨日は朝びっしりと霜が降り、寒く一段と美しい朝でした。
陽が昇り暖かくなるのも遅く、夕方も4時半すぎるとすとんと暗くなってしまうため、最近は仕事前やあとに畑や外作業をする時間はなく、休みの日が勝負。
里芋、豆、大根、白菜などの収穫、これらがちゃんと冬越しできるよう保存と保存食作り、果樹の収穫と剪定、来シーズン用の種まきなどなど。恵みの秋は、こちらの準備が整う前にどんどん恵みを分けてくださるので、段取りがまだうまくできない菜園1年生は追いつかずてんてこ舞いです。
そして、今年は教えてもらいながら初めて雪囲いもしました。雪囲いとは、屋根から落ちる雪が窓ガラスなどを割らないよう建物を守るためにする囲いのことです。
幸い雪の始末の負担や心配があまりない家なので、あとは、大きいおうちの中でいかに暖かく過ごせるか、これから試行錯誤です。
本格的に雪が降る前に、やることはずらりとリストになっているけれど、山も歩きたいしとやりたいこともいっぱい。天気予報とにらめっこしながら、お天気のいい日は葛藤です。
冬至まで1カ月ほど。日に日に寒く、明るい時間も短くなるので、この時期はいつも気持ちが急きますが、今年は畑も始めたのでなおさら。
お天気のいい日が長く続きますようにと願うばかりです。
美女峠
今週からずいぶん冷え込み、日中もなかなか気温が上がらなくなってきました。
冬がもうすぐそこまで来ているという気配が肌身にひしひしと感じられ、10日には、町内から見える三坂山が初雪化粧。
先日ハイキングに行った美女峠も雪をかぶったことでしょう。
この日は、銀山街道を三島町間方地区から昭和村に抜ける途中にある美女峠まで、往復約8キロほどを歩きました。江戸時代から続く銀山街道は、会津若松市大町と只見町小林を結んでおり、全長約72キロあります。
軽井沢銀山で銀が採れていた頃は、会津藩にとって銀を運ぶための重要な街道だったようです。
県道ではあるものの、車が通行することはできず、現在は歩く県道として整備されています。
荷馬車が通行していたということで、道幅も広く、美女峠までは終始緩やかな道となります。
この日は新米の収穫祭も兼ねていたので、途中の清水でお水を汲んで峠で芋煮会をしました。
地元の方、移住者、町内外の方々みんなで、自然の美味しい恵みと紅葉と秋の陽気を味わいました。
雪が本格的に降るまであと少し、山歩きを楽しめたらと思います。
沼田街道トレッキング
10月31日、「江戸時代の古道を巡るトレッキング実行委員会」が主催するトレッキングツアーに参加しました。すっきりと晴れ渡った青空のもと、今が盛りと輝く紅葉を愛で、友人知人とおしゃべりしながら、のんびり歩いてきました。
沼田街道は、会津若松市から尾瀬沼を経て群馬県の沼田市へと至る道のことで、その昔は会津(福島県)と上州(群馬県)を結ぶ交易路だったそうです(群馬県側からは会津街道と呼ばれるようです)。
この日は、町内を通る街道を滝谷駅から宮下駅まで、約11キロほど歩いてきました。途中には、風穴や厳谷(がんこく)城・丸山城という城跡などもあり、見どころも満載です。
城跡へのアプローチなど険しい道や車道もありますが、古道はきれいに整備されており、落ち葉の堆積でふかふかと歩きやすく、気持ちのいい道です。
随所で、地元ガイドの方が解説をしてくださるので、今まで知らなかった町の歴史や当時の往来の様子に想いを馳せることができ、街道歩きもより深みが増します。
存在は知っていましたが、いつも目にしている山の中や道路脇に、実は街道が巡らされていることに感動。
同じ道でも、車で通り過ぎるのと自分の足で歩くのとでは、見える景色も全く違い、このように歩く機会がありよかったです。