移住者インタビューその1
私が移住をする前に一番興味を持ったのが、その場所でどんな人がどんな暮らしをしているのかでした。
今回は三島町にいる移住先輩者にどんなきっかけで三島町に来たのか?どんな暮らしをしているのか?などを聞いてみました。
シリーズで色々な人のエピソードを載せていけたらと思っています。
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初回 大橋治さん(64歳)
東京でIT関係の仕事をしていたが、早期退職し茨城県で義父の稼業を継ぐ。
2017年12月に三島町浅岐地区に単身移住。
空き家を無償譲渡で取得し、県や町の補助金を活用して住みやすい家に改修。
大橋さんは長年田舎暮らしの夢があり、一昨年12月にその夢を叶えました。
「昔はテレビを見て『あぁ、バイク乗りたいな』と思ってもそれでおしまいだったが、今はそれができる。
やりたかったことをやっているという充実感、満足感があり、それが移住して一番良かったこと。」と話す大橋さんに移住にまつわるお話を色々と聞いてみました。
—どんな経緯で三島町へ?
三島町には父が転勤族だったことから、中学生の頃に一年間住んだことがありました。工人祭り(様々な手づくり品が全国から集結する三島町最大のイベント)にもよく訪れていたし、工人(=三島町では作り手のことをこう呼ぶ)の同級生が東京へクラフトフェアなどのイベントで来た時などに、作る姿を見たり話をしたりして、いつか自分もものづくりをしたいと思っていました。また山歩きや釣り、ツーリングが趣味だったので、そのすべてが実現できる会津地域への移住を希望していました。
当初は三島町ではなく、もう少し利便性の良い会津若松市や喜多方市に住んで三島町に編み組細工を習いに来ようと考えていましたが、条件のいい物件が見つからず、タイミングと予算などの条件で三島町浅岐地区へと移住することになりました。
—今の暮らしについて
週3日、町の交流施設で町史編纂の仕事をしています。その他の時間は自分の趣味の時間にあてています。妻は実家の茨城県におり、子どもと孫も茨城県と埼玉県にいます。孫の行事に合わせて家族には会っています。
夏~秋は釣りや山登り、ツーリングを楽しみます。畑も借りているので、多少家庭菜園もやっています。
材料採取が始まる11月から工人祭りのある6月までの冬場は、編み組細工をしています。去年の冬、町のものづくり教室で作り方を習い、今は自分で作っています。やるからには極めたいので、工人祭りに自分の作ったものを出すことを目標にやっています。
—苦労したことは?
家探しでは条件に合う物件が見つからず苦労しましたが、移住してからは特にないです。「除雪が大変じゃないか?買い物が不便じゃないか?」とよく言われますが、それらはやらなくてはならない当たり前のことであり、大変なこととは特に思っていません。
よく「覚悟して移住する」という言い方をするけれど、移住に覚悟という言葉は似合わない。自分が好きで移住するのだから、移住はワクワクすること、楽しいことであり、覚悟して来るほどのことじゃないと個人的には思っています。
—三島町の魅力は?
やっぱり編み組細工です。山歩きや釣りができる田舎、自然が豊かなところは全国各地にいくらでもあります。また各地に編み組細工もありますが、三島町の編み組細工には歴史に根差した感性や文化があり、町もそれを強力にサポートしています。地元の人々や町が編み組細工を残していこうとしている雰囲気やムードがとてもいいと思っています。また、工人祭りなどを通して三島町の編み組細工は全国的にも地位があります。
材料採取からすべての工程を自分でできるのがこの編み組細工の魅力であり、自分の他の趣味とも併用でき、長く続けられそうだと思っています。三島町での暮らしは自分がしたいことのすべてがそろっており、今充実した生活を送っています。
大橋さんにとって、三島町は夢が叶った場所。地区や町の行事にも積極的に参加され、三島町での暮らしを満喫されています。
今回のインタビューにも快く応じてくださり、空き家のことや移住定住促進に関しても色々とアドバイスをくださいました。
こうした方たちと一緒に三島町の魅力をもっとアピールしていけたらなと思います。