奥会津三島町での日々

噛めば噛むほど美味しいスルメのような魅力を持つ奥会津三島町の暮らしや協力隊活動の様子を書いてゆきます。

移住者インタビューその11

小荒井勇人(こあらいはやと)さん(31歳)

福島市出身。福島大学、大学院の美術コースで学び、6年間高校で美術講師をしていましたが、木こりの親方と出会い、2018年4月に三島町にあるアイパワーフォレスト株式会社に就職。特殊伐採を得意とする会社で木こりの道を歩んでいます。ご本人のユーモアとセンスの良さが垣間見えるブログ『木こりの日常』は必見!(諸事情により更新が滞ってますが…とのこと)

 

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三島町へと移住したいきさつ

「唐突かつ単純に言えば、
私は美術教師の夢を諦め、木こりになることを決めた。
昨年の夏、20代最後の年に。」 (ご本人ブログより)

 「前の仕事から逃げたかったんだろう?」などと言われることもありますが(苦笑)…特段今までの生活に不満があったわけではありません。教えるのは好きだし、美術の専門性を活かしたかったので、講師から教師になりたいと思っていましたが、教員試験になかなか受からず…そんな29歳の夏に「すごい木こり」がいるという噂を聞き、今の職場の親方と出会い、大きく人生が展開しました。

 幼い頃、骨の病気で股関節が悪く、小学1年生から小学校3年生までまともに歩くことができませんでした。幸い病院の先生と小学校の担任の先生の尽力おかげで、普通学級の中で学ぶことができました。しかし骨がもろく変形しやすい時期が2年ほどあったため、装具や車椅子を使っての移動が必要で、極力動かないように注意されていました。

 そのことがきっかけで、座ってできる美術に興味を持つようになりました。また、病弱だったために、動くことへのあこがれが強くあり、動けるようになってから合気道を始めました。技術が高まると、体格に優れている相手に対しても対等かそれ以上に立ち回りできることに喜びを感じました。身体を鍛えたことで、足もだいぶ良くなりましたが、美術講師として働くうちに身体を動かすことが減り、再び調子が悪くなっていきました。

 このまま動けなくなるのでは?という漠然とした不安を感じるようになった頃、三島町と出会いました。親方はじめ60代はまだ若者、70~80代も現役、90歳過ぎても崖のような急斜面を上り下りする超人を目撃!衝撃を受けました。生涯現役で自然の中で力強く生きている三島の人々にすっかり魅せられ、色々な可能性を感じました。勤めていた高校は郡山市のビルの中にあったのですが、三島を肌で感じてからは「何で俺はこの箱の中にいるんだ?」と感じたものです。

 

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木こりの親方



 また、学校というのは公共の場であり、決まりごとが多い中で動かなくてはならなりません。一方、親方は自分で考え、ものごとを動かしており、その姿がかっこよく、親方のようになりたいと、木こりの道を歩むことに決めました。

 最初の出会いの後、会津自然エネルギー機構主催の「山学校」に毎月一回通い、翌春から親方のいるアイパワーフォレスト株式会社に就職することが決まりました。転職するタイミングで大学から7年以上付き合っていた女性と結婚したのですが、奥さん(会津出身)は仕事の関係で郡山に住んでいます。中間の会津若松市あたりに住むことも考えられましたが、通勤時間のロスがもったいなく、親方の近くにいて今の仕事に集中したいと思い、親方が紹介してくれた空き家に住むことにしました。

 

仕事について

 林業というと間伐、植林のイメージが強い気がしますが、会社は特殊伐採を得意とし、そういうイメージを包括するために、木こりという言葉を自分は使っています。

  • 特殊伐採とは:木が建築物、架線、道路沿いにあったり、クレーン車の侵入や倒木可能なスペースがない等倒木が不可能な場合に、木の上部から徐々に枝や幹を切り落とす技術(アイパワーフォレストHPより)
 そろそろ、丸2年が経とうとし、「新人です」とは言えなくなりますが、日々ご迷惑おかけしながら何とかやっています。美術講師時代は、時期によりますが朝早くから夜遅くまで室内で仕事をし、夜中に眠らなくてはいけないから眠るという生活をしていましたが、今は仕事から疲れて帰ってきて、強制的にシャットダウン、朝も自然と目が覚める(今は頭部が寒くて!)ようになり、身体が喜んでいるなと感じています。
 

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現場の一コマ
 最初の頃は山でよく転んだりしていましたが、親方のアドバイスで歩き方も変わり、実際足の骨の形は、レントゲン写真を見て病院の先生もびっくりするくらいきれいになりました(多少、誇張しているかもしれませんが…)。また、昨年はマックスの頃の体重から8キロも痩せました!
 ブログは仕事を覚えるための記録として、会社の宣伝として、そして息抜きとして書いていましたが、文章で林業のことを具体的に書くと、どうしても平面的になってしまい、受け手によってとらえ方も変わり、誤解も生みかねないというのがあり、また失敗談をあまり面白おかしく書いても「この会社大丈夫か!?」と思われかねないので、更新がだんだん遠のくようになってしまいました。それでも、記録は自分のために書き残しています。

 「木をチェーンソーで切るだけでしょ?近所のおじいさんも木を切っているよ」という身近なイメージもあり、基準になる作業単価も決まっておらず一般的に林業従事者は危険な作業に見合った賃金ではないことが多いようです。確かに木を平らなところで、方向を気にせず切るだけなら簡単かもしれません。しかし状況が少し変わると危険が伴う命がけの現場であり、実際死亡率の高い仕事です。だからと言って、変に怯える必要はありませんが、高い技術が必要で努力を積み重ねなくてはならない世界です。

 

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現場にて親方や先輩方に叱られる図


 親方の技は超然としており、背後に山の神さまか何かが憑いているんじゃないかと思うときがあります。知れば知るほど親方の技は遠く、何にも出来ない自分に歯がゆさはあります。その反面、私の歩みは遅く小さな進歩でありますが、それを感じて喜ぶことができる、毎年が同じように繰り返されていく気がしません。難しいゆえに面白いところだと感じています。

 親方はじめ会社が勉強会や研修会に力をいれるのは、次の若い世代に特殊な技術を伝えていき、学びの輪が広がって日本全体の山の整備に貢献したい使命感があるからです。また次世代の人々が誇りを持って林業で暮していけるよう環境改善を図りたいという想いも持っています。

 

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叱られたあとの飴


いつかの野望

 木を活かすという点において、木こりと木彫には通ずる部分があると思っています。木こり=木を切る=木を殺していると一見思われますが、切り方一つで森を再生させ、木を活かすこともできます。親方の木に対する愛情はきれいな切り口に表れています。

 木彫制作では木に第二の人生を送ってもらいたいという想いで作品作りをしていました。しかしほとんどの彫刻する人は、木材を製材屋さんから製材されたものを買います。製材される時点で木が生きてきた形は整理され、作品にすることでさらに木の生々しい持ち味は薄くなってしまう側面があります。また、個性のある変わった形の木を彫りたいと思っても、そういう木は基本的に市場に出回ることなく、扱いが難しく捨てられやすい命です。しかし自分もそうですが、そういう木こそ彫りたいという人もいるので、そういう木をうまくまわせたらなと思っています。

 いつかそういう循環が生まれたらと密かに野望を抱いていますが、まずは木こりとして自分のことをしっかりしなくてはですね。今は色々中途半端でとっ散らかっていますが、この道を選んだことは正しかった、合っていると感じています。将来的に、すべてがつながっていくのではないかと感じています。

 

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暮らしの一コマ

 インタビューを終えて

 ブログの印象通りとてもユーモアがあり、元先生ということもあり、お話もとても上手で、いつまでもお話を伺っていたいと感じる楽しい時間でした。ここにもまた導かれるようにして三島にやってきた人が一人。美術、木彫、木こり、その他様々な経験が一途でまじめな小荒井さんの中で熟成され、本当にいつかきっと、いつかの野望を実現するのではないかと私までわくわくしました。今後のご活躍も応援しています。