奥会津三島町での日々

噛めば噛むほど美味しいスルメのような魅力を持つ奥会津三島町の暮らしや協力隊活動の様子を書いてゆきます。

移住者インタビューその13

鈴木敦(つとむ)さん(40歳)

会津坂下町出身。会津タンス株式会社に勤めるのをきっかけに、三島町と関わりを持ち、5年前から町内に住んでいます。現在は、木工作品を制作・販売するかたわら、町のものづくり拠点である生活工芸館にて、編み組材料業務 (栽培・採取)のお仕事をされています。

 

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三島町へと移住したいきさつ

 いつも、かっこいいと思うこと、楽しいことや好きなことを追求してきました。

 ものづくりに目覚めたのは親戚宅のリフォームを手伝い、大工として働くようになってからです。小中学校の頃は、図工や技術は大嫌いでした。自分が思うように作れずイライラするし、うまく作れる気がしませんでした。また、学校では授業でやらされている感が否めませんでしたが、仕事となると、そう言ってもいられず、やらなくてはいけません。そして、本気でやってみると面白いということに気づきました。自分で言うのもなんですが、「家を作れるなんてすごい」「かっこいい」と素直に思います。ここでの経験が、ものを作る=何かを生み出すというのは楽しいことなのだと知った最初のきっかけでした。5年ほど勤めたのち、諸事情により退社。その後は古着屋を経営したりしましたが、お店の看板や内装を自分でするなど、この頃にはすっかりものづくりにはまり、木工をやっていきたいという気持ちが強まっていました。

 

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 あるとき、道の駅みしま宿2階にある桐タンス展示スペースにふらっと立ち寄ったのが、三島町との出会いでした。展示されている桐タンスを見て、自分でも作れたらと思ったのですが、ちょうどそのとき、桐タンス株式会社で求人募集があったので、即応募しました。晴れて採用が決まり、ここで木工の細かい仕事を色々と学びました。

 その後、絵の額縁作りを専門に独立しました。生活工芸館で木を加工し、工人の館(現在は工芸館とともに町のものづくり拠点)を工房として借り、組み立て作業などをしていました。本格的な機械を誰でも自由に使える生活工芸館は、木工をする人間にとっては素晴らしい場所です。工芸館がなかったら、三島町には来ていなかったと思います。

 

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 ただ、会津坂下町より三島町まで通うのは大変でした。作業は皆が寝静まった深夜がはかどるので、どうしても夜型になります。しかし、ここは雪国。夜中の2時近くまで作業していると、雪がどっさり積もり帰宅するのが容易ではないことも度々ありました。そんな生活を数年は続けていたのですが、町にちょうど世帯向けの住宅ができたこともあり、奥さんを何とか説得し、三島町へ移り住みました。ちょうど長女が小学校に上がるタイミングでした。

 

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お仕事について

 絵描きさんの額縁作りは、大工の頃から端材を使ってやっていました。絵を描く友人知人が周りにいて、頼られることが多く、自分は絵は描けないけれど、額縁くらいなら作れるかなと思い、始めました。オーダーはアマからプロまで、全てお任せすると言う人から細かい注文まで様々ですが、ニーズに応えながら作っています。適当にやっても材は合わさりますが、丁寧にいいもの作らないと面白くありません。すごく気合いを入れて作り、ビタッと合わさるときは最高に楽しいです。

 また、三島町に住むタイミングで声をかけていただき、工芸館の木工指導員になりました。工芸館に勤めたことで、多くの方と出会い、知り合う機会に恵まれました。町内外、老若男女を問わず、そして素人からプロまで毎日色んな方があそびに来ていました。そういった方たちのサポートをしながら一緒にものづくりできるのは、何ほど面白いことでしょう。

 

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 そして、木工指導員と並行して町の特産である編み組の材料集めにも関わるようになりました。町の工人さん(ものづくりする人たちのこと)たちはだんだんと高齢になり、山へ材料を取りに行けなくなりつつあるので、代わりに取りに行きます。とりたてて山に興味があったわけではありませんが、これも始めて見ると面白く、山に目覚めてしまいました。大自然の中で、色んな野生動物と隣り合わせで作業するのは、怖いこともありますが楽しいです。

 本業=木工作品作り、副業=山での材料取りと、今好きなこと、楽しいことしかしていません。つまらない仕事、嫌々ながらする仕事はしたくありません。もちろん仕事をする上での責任、そして子どももいるので親としての責任はあります。しかし、楽しい人生とのバランスは大切です。奥さんの協力もあり、今の暮らしに不満はありません。

 

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これからのこと

 三島町への移住については、当時多くの波紋を呼び、反対にも合いましたが、この春で丸5年が経過したことになります。色んな方に覚えていただき、お世話になり、三島に来て本当によかったと思っています。自分は「人が優しい」「温かい」といったことを言うのがあまり好きではありませんが、工人さんたち含め三島の人に何ほどよくしていただいたか計り知れません。

 また、ここは「変わり者」が集まる町だと思っています。仕事を辞めて、生活が不安定なものづくりで食べていくなんて、なかなかできることではありません。みんな三島が好きで、面白い人たちで、一緒にいるのが楽しいです。

 これからもここに暮らし続けたいと思っている人間にとって、未来に対する不安は確かにあります。人口減少は止まらず、子どもの生育環境としてどうなのだろうかという思いも正直あります。幸い3人の子どもは素直に伸び伸び育っていますが、もうすぐ6年生になる長女の同級生は3人なので、良くも悪くも少人数制。将来大勢の中でやっていけるのかなど考えることもあります。

 この町に根を張って暮らしたいと思うからには、町がよりよくなってほしいですし、よりよい町にしていきたいとも思っています。地元の方々と、三島町が好きで来た移住者とが今後ますますつながれば、三島町の未来も広がっていくんじゃないかと思っています。

 

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インタビューを終えて

 好きなことにまっすぐで熱く、色々とご苦労などもあった/あるのかもしれませんが、そんなことを全く感じさせない圧倒的なパワーが鈴木さんにはあり、お話を聞いていると、こちらまで明るい気持ちになります。私自身鈴木さんが作成したカッティングボードを使わせていただいていますが、使い勝手がちょうどよく、洗練されたデザインでキッチンに置いてあると気持ちも上がります。身近にものづくりする人がいて、その方たちが作ったものを使えるのは幸せなことだなぁと改めて思います。