春の訪れ
2月半ばまであんなに降っていた、積もっていた雪は、あれよあれよとあっという間に消えてしまい、気づけば足元は春の訪れでにぎわっています。
畑の一角には福寿草の群落が植木の下に広がっており、スイセン、クロッカスの花があちこちに咲き始めました。
この家に移た5月半ば過ぎには、もはや草だらけ。こんなにも花々が咲くなんて想像もしていなかったので、その感動はとても大きかったです。
かつて所有者家族が早春の訪れを感じられるように植えたものが、時を経てきっとどんどん増えていったのでしょう。
週末は、冬前に取り損ねた大根を掘り起こそうと初の畑仕事をしました。10本以上は残っていた大根はほとんど残っておらず、「なぜ??」と首をかしげていたところ、ネズミの仕業だと近所の方に教えてもらいました。
よく見ると、大根の畝はじめ、畑のあちこちにモグラが開け穴があり、そこをネズミが通り、大根を食していたようです。よっぽどたくさんのネズミが潜んでいるのか、最近やたらネコが畑をうろついているのにも納得です。
近所の人には「まだ早い」と言われましたが、花や野菜の種まきも始め、いよいよ菜園生活2年目の始まりです。
そして、三島町に来てちょうど3年。地域おこし協力隊としての任期を無事に終え、3月31日に卒業となります。引き続き、三島町で空き家や移住定住に関する業務に従事しながら、「噛めば噛むほど美味しいスルメ」のような三島町での暮らしを楽しんでいきたいと思っています。
暮らしや菜園の記録を個人的にどこかで綴っていけたらとも少し考えていますが、ひとまずこのブログはこれで終了。なかなか更新ができず、結局中途半端な内容のものでしたが、それでも読んでくださった方々、ありがとうございました。
3日間降り続いた雪
週末3日間降り続いた雪と今朝の青空は、世界をはっとするほど劇的に美しく変えてくれました。
今朝は放射冷却でキーンとする寒さ。そして、道路はガチガチのつるつるでした。
昨日は初めて屋根の雪切りをしました。雪の重みで屋根に負担がかからないように、雪ベラを使って屋根からずり落ちそうな雪を落とします。下から落とすと、落ちた雪の下敷きになる可能性があるので、2階の窓からできる範囲で。
へらで雪を切る感触はざくっ、さくっと気持ちのいい手応え。落下するときは、下屋に当たる雪とつららが室内に舞い散るほどの勢いでびっくりしました。
また、キウイ棚も雪の重みで崩れないように雪下ろし。夏場は脚立に乗らないと届かなかった棚が、かんじきを履いても膝上まで埋まる積雪で見下ろせる高さに。本当によく降ったんだなと思います。
雪の上に立つと、屋根も電線もそして空も、ぐんと近づいた気がして不思議です。
今日は日中暖かくなり雪も緩むとのこと。落雪など事故、怪我なきよう気をつけなくてはですね。
移住者インタビューその17
角田 信三さん(49歳)
静岡県静岡市出身。2019年度生活工芸アカデミーに参加。新規就農を目指して2020年度は、春から秋にカスミソウの栽培研修を受けました。来シーズンよりカスミソウ農家として独立予定。
*生活工芸アカデミーとは
三島町に暮らしながら、山村地域の暮らし(農作業や、郷土食、伝統行事など)と編み組をはじめとするものづくりを1年かけて学べるプログラム。暮らしに必要な道具を、身近な自然素材を使って、自分たちの手で作る「ものづくり=生活工芸文化」が、三島町には色濃く残っています。詳しくは生活工芸館へお問い合わせください。
*三島町では、隣の昭和村や柳津町とともにカスミソウ栽培が行われています。JA会津よつばかすみ草部会に所属する生産者が栽培するカスミソウは『昭和かすみ草』としてブランド化されており、夏秋期栽培における生産量、品質共に日本一を誇っています。
生活工芸アカデミーに参加した理由
両親ともに三島町の出身で、幼い頃から毎年夏と冬に祖父母を訪ねて三島町へ通っていました。祖父母はたばこ農家だったので、夏場は収穫などの手伝いをしたり、美坂高原に行って釣り堀で遊んだりしました。冬場は雪で大変だからと次第に行かなくなりましたが、寒さをしのぐために、足をこたつに入れて布団で寝ていたなということなどを、懐かしく思い出します。全てが楽しく、よき思い出だったので、その後空き家になっていた祖父母宅がずっと気になっており、いつか帰りたいと思っていました。ただ、「帰ってきても仕事はない」とも聞いていたので、帰るタイミングを見計らっていました。
また、祖父母が農業をやっていたこともあり、学生時代には農作クラブに入ったり、その後もプランターで家庭菜園をしたりと、ずっと農業に興味があり、自分もいつか本格的にやってみたいと考えていました。
そんなとき、「田舎暮らしの本」という雑誌で、三島町の生活工芸アカデミー生の募集を見つけ、「これはいい機会だ」と応募しました。三島町にはずっと通っていましたが、実は編み組のことは全く知らず、編み組というよりは米作りなどの農業を学び、今後につながればという思いで参加しました。
生活工芸アカデミーについて
アカデミー生時代は、受け入れ地区の方にもとてもよくしていただき、本当に楽しかったです。農作業についても地区の方に一から教わりました。アカデミー生の畑は女性寮の近くだったのですが、学んだことを個人的に借りた畑で自分で試してみたりもしました。
ものづくりは好きで、多少したこともありましたが、まさか自分でも編み組ができるとは思いませんでした。編み組みはやってみるととても面白かったです。自然のものからできている、同じ作り手でも同じ作品は二つとしてないというのがいいなと思っています。また、山ぶどう蔓は丈夫で100年も使えると聞きますが、長く使えるというのも魅力の一つです。
そして、例えばモワダという材はシナの木を切って水に漬け込み、腐らせてから皮を剥いで洗い、縄に綯って材としますが、そのような知恵の発見が毎回楽しく、昔の人はよく考えついたなと感動します。
自分で使うものを自分で作れたらと思うので、これからも続けていきたいと思っています。
カスミソウ栽培について
卒業後に三島町で生活していくにあたって、色々な方に相談しました。せっかくここまで来たのだから、会社勤めではなく農業をしていけたらと考えていましたが、農業ではあまり収入は得られないとも聞きました。
カスミソウ栽培は、「昭和かすみ草」としてブランド化されており、ポテンシャルの高さ、きちんとやれば生計が立てられるという手応えを感じました。春から秋のシーズン中は、土日関係なく朝から晩まで忙しいですが、11月以降翌年春までは作業がないので、ならせば年間休日120日になります。
自分でどこまでできるかわかりませんが、来年50歳になることを考えると、これが最後のチャンス、やりたいことをやってみようと決意しました。「農業は楽ではない」「これから大変だぞ」とも言われていますが、好きなことをして大変ならばいいかと思っています。中には年収1000万円以上の人もいると聞くくらいなので、頑張った分だけ返ってくるというのは最大の魅力だと思います。
役場の方々にも相談し、今年の4月から11月まで、地元のカスミソウ農家の下で研修を受けました。就農支援の補助制度を創設して助かりましたが、アカデミー生時代から計2年就労していないことになるので、資金面では厳しいのが正直なところです。そのため、冬場は除雪作業員をすることにしました。夜中の2時に起きる生活にはなかなか慣れず大変ですが、これまでとは違った人脈が広がり、知り合いも増えたのはよかったことです。
また土地探しでは苦労しました。カスミソウ栽培ではビニールハウスを建てるための広い土地が必要です。農家になるには土地探しからということで、自分で一から探しましたが、めぼしい土地を見つけても、所有者確認のために法務局へ行ったりとずいぶん時間と手間がかかりました。地元の方に相談しながら、ようやく土地が確保できて一安心です。周りの方々の協力を得ながらも、自分から動いていかないと変わらないということを学んだ経験です。
三島町の魅力
どこへ行っても自然が豊かで、時間がゆっくり流れていると感じます。また、町内知らない人はいないくらい誰とでも知り合いで、町長さんや議員さんはじめ普段接しない人と話す機会も自然とあり、人と人との距離が近いのがいいところです。今年はコロナの影響もあり、地区の集まりなどがあまりなく少し寂しいですが、早く顔を合わせ、一緒に何かする機会が復活するといいなと思っています。
カスミソウ栽培も、地域とのつながりもこれから。今年は余裕がなく家庭菜園は全くできませんでしたが、カスミソウ栽培が軌道に載ってきたら、自給自足とまではいかなくとも、自分で食べる作物は育て、冬はものづくりをしていけたらと思っています。
インタビューを終えて
三島町に「帰る」「帰ってきた」という言葉を使われていてたのが印象的で、幼い頃から通っていた三島町は、角田さんにとって帰るべき大事な場所だということが伝わってきましたが、そのように思える場所があり、実際に帰ってきたというのは素晴らしいことだなと思いました。そして、好きな場所で好きなことをやっていきたいとの想いで、新しいことに取り組まれている方のエネルギーは、前向きで暖かく、これからの可能性に満ちていて、聞いている方もわくわくします。カスミソウ栽培が軌道に乗り、理想の暮らしを一歩一歩実現されていといいなと心から思います。
また、三島町に移住定住したいときにネックになる仕事問題に対して、角田さんのおっしゃるように、カスミソウ栽培にはこれからの可能性があり、移住定住の際の仕事の選択肢の一つの形になるのではないかと感じました。角田さんたち(今年度角田さんのほかにもう一人カスミソウの栽培研修を受け、来年度独立される方がいます)を皮切りに、今後につながるといいなと思います。
サイノカミ
1月15日は、五穀豊穣や無病息災、家内安全などを祈願する小正月の火祭り、サイノカミでした。
私の住む地区では、昨年不幸が多かったということで、サイノカミは例年の1/2サイズに縮小し、通常は夜ですが、点火も日中のうちに行われました。
サイノカミが燃え始めると、厄年の方がみかんを配ったり、お神酒がふるまわれたりします。
火が上まで昇っていくと、巻き付けてあった藁が上から順々に開きはじめ、はらはらと舞い落ちます。その瞬間、集まった人たちの興奮も高まります。
今年はサイズが小さかったからか、うまく開かなかったようですが、その様子を地元の方が「火の花が開く」と言っていて、言い得て妙でした。
全てが燃え落ちた後は、その熾火でお護符のお餅やスルメをあぶります。神聖な火にあたったお餅などを食べることで厄落としになるようです。
短い時間したが、地域の方々と本物の火にあたりながらの気持ち新たまる、そして温まるひとときでした。
三島町のサイノカミは、町内18集落のうち10集落で行われており、地区ごとにそれぞれ特色があります。
町全体で保存されていることが評価され、平成20年に国指定の重要無形民俗文化財にも登録されています。
毎日寒い!
今年は冬らしい冬で寒く、これが雪国の冬かぁと毎日身に染みています。
築60年以上の我が家は、断熱材が入ってないので、室内でも吐く息は白く、朝は氷点下になることも。キッチンのお湯は凍結して出なくなり、水道管が破裂しないか毎日びくびくしています。
室内は、石油ストーブやヒーターを使うのでよく結露します。朝になると、結露は氷の結晶になり、窓一面を埋め尽くします。窓は凍って開けることができませんが、結晶は繊細で美しく、一つとして同じ模様はなく、見ていて飽きることがありません。
本格的な雪国暮らし一年目は、見るものすべて、経験するものすべてが初めてで、今のところ、つらいこともも困ったことも比較的面白がれています。
寒さはこれからが本番ですが、冬至から一カ月近くが経ち、陽が長くなってきたことで、気持ちもぐんと明るく軽くなり、身体も外へ飛び出したいとうずうずしています。
先日は思い立って、裏の畑からスノーシューを履いて散歩をしてきました。
農道が通っていますが、冬期間は除雪をしないため、道路も田んぼも一面雪の原。動物の足跡を追いかけて、家のすぐ裏でスノーシューができるなんて、とっても贅沢な環境です。
果たしていつまで今のようなフレッシュな気持ちでいられるかはわかりませんが、せっかくの冬、存分に楽しめたらと思っています。
雪国らしい冬
今年は雪国らしく雪が降る冬を迎えています。
一昨年は多少降りましたが、昨年はほとんど雪が降らない冬だったので、本格的な雪は今回が初めて。
年末年始の寒波で、あたり一面すっぽり雪に包まれています。
見苦しいものはみんな雪の中に包まれ、代わりに今までは見えなかったものが見えるように!
夏の間も動物の気配はあり、目にすることもありましたが、このように家のすぐ脇を動物が通っているとことが目に見える形で残っているのは、何だか感慨深いです。
雪景色は見ていて飽きることのない美しい景色。
窓の外を眺めるめるのも、外をちょっと歩くのも、心洗われる至福のひと時です。
寒さは覚悟しなくては…ですが、今年は雪国らしい冬を満喫できそうで楽しみです。
雪中野菜掘り
先週は、毎日雪が降り雪国らしい寒い寒い日々でした。
今までは家の前の道路に消雪パイプが入っていて、雪が降る日は水の音が聞こえていたのですが、今はパイプがないので、しんとした朝を迎えています。
1週間経ち、少しずつこの家での雪暮らしの勝手も見えてきましたが、ドサドサドサーと屋根から落ちる雪の音と振動にはまだ慣れず、毎回とびくっとします。
週末の晴れ間に、雪の中に眠っている白菜と大根を堀りました。ひざ下まである雪の中をえっちらおっちら進み、いざ掘ろうと思っても、一面きれいに雪が覆いかぶさっているので、どこに野菜たちが眠っているのか…
検討をつけてスコップで掘りますが、外れて野菜を傷つけてばかり…しかも、大根は土が固くて途中でボキッと折れるありさま…労力のわりに喜びがほとんどない収穫で、ほうれん草とブロッコリーは断念。
雪が降ったら、潔くあきらめるのも大切かもと思った時間でした。
それでも、うちの中は寒いし、じっとしていると身体もなまるので、ぴりっとした空気の中、白い息を吐きながら身体を動かすとぽかぽかしていいものです。