奥会津三島町での日々

噛めば噛むほど美味しいスルメのような魅力を持つ奥会津三島町の暮らしや協力隊活動の様子を書いてゆきます。

移住者インタビューその17 

角田 信三さん(49歳)

静岡県静岡市出身。2019年度生活工芸アカデミーに参加。新規就農を目指して2020年度は、春から秋にカスミソウの栽培研修を受けました。来シーズンよりカスミソウ農家として独立予定。

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*生活工芸アカデミーとは

三島町に暮らしながら、山村地域の暮らし(農作業や、郷土食、伝統行事など)と編み組をはじめとするものづくりを1年かけて学べるプログラム。暮らしに必要な道具を、身近な自然素材を使って、自分たちの手で作る「ものづくり=生活工芸文化」が、三島町には色濃く残っています。詳しくは生活工芸館へお問い合わせください。

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編み組細工とは、ヒロロ、山ぶどう蔓、マタタビ蔓などを使って作られるかごやざる、バック製品などのこと

 

三島町では、隣の昭和村や柳津町とともにカスミソウ栽培が行われています。JA会津よつばかすみ草部会に所属する生産者が栽培するカスミソウは『昭和かすみ草』としてブランド化されており、夏秋期栽培における生産量、品質共に日本一を誇っています。

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宿根カスミソウ

 

生活工芸アカデミーに参加した理由

 両親ともに三島町の出身で、幼い頃から毎年夏と冬に祖父母を訪ねて三島町へ通っていました。祖父母はたばこ農家だったので、夏場は収穫などの手伝いをしたり、美坂高原に行って釣り堀で遊んだりしました。冬場は雪で大変だからと次第に行かなくなりましたが、寒さをしのぐために、足をこたつに入れて布団で寝ていたなということなどを、懐かしく思い出します。全てが楽しく、よき思い出だったので、その後空き家になっていた祖父母宅がずっと気になっており、いつか帰りたいと思っていました。ただ、「帰ってきても仕事はない」とも聞いていたので、帰るタイミングを見計らっていました。

 また、祖父母が農業をやっていたこともあり、学生時代には農作クラブに入ったり、その後もプランターで家庭菜園をしたりと、ずっと農業に興味があり、自分もいつか本格的にやってみたいと考えていました。

 そんなとき、「田舎暮らしの本」という雑誌で、三島町の生活工芸アカデミー生の募集を見つけ、「これはいい機会だ」と応募しました。三島町にはずっと通っていましたが、実は編み組のことは全く知らず、編み組というよりは米作りなどの農業を学び、今後につながればという思いで参加しました。

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田植え体験

生活工芸アカデミーについて

 アカデミー生時代は、受け入れ地区の方にもとてもよくしていただき、本当に楽しかったです。農作業についても地区の方に一から教わりました。アカデミー生の畑は女性寮の近くだったのですが、学んだことを個人的に借りた畑で自分で試してみたりもしました。

 ものづくりは好きで、多少したこともありましたが、まさか自分でも編み組ができるとは思いませんでした。編み組みはやってみるととても面白かったです。自然のものからできている、同じ作り手でも同じ作品は二つとしてないというのがいいなと思っています。また、山ぶどう蔓は丈夫で100年も使えると聞きますが、長く使えるというのも魅力の一つです。

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山ぶどう蔓のバック作り

 そして、例えばモワダという材はシナの木を切って水に漬け込み、腐らせてから皮を剥いで洗い、縄に綯って材としますが、そのような知恵の発見が毎回楽しく、昔の人はよく考えついたなと感動します。

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モワダ洗い

 自分で使うものを自分で作れたらと思うので、これからも続けていきたいと思っています。

 

カスミソウ栽培について

 卒業後に三島町で生活していくにあたって、色々な方に相談しました。せっかくここまで来たのだから、会社勤めではなく農業をしていけたらと考えていましたが、農業ではあまり収入は得られないとも聞きました。

 カスミソウ栽培は、「昭和かすみ草」としてブランド化されており、ポテンシャルの高さ、きちんとやれば生計が立てられるという手応えを感じました。春から秋のシーズン中は、土日関係なく朝から晩まで忙しいですが、11月以降翌年春までは作業がないので、ならせば年間休日120日になります。

 自分でどこまでできるかわかりませんが、来年50歳になることを考えると、これが最後のチャンス、やりたいことをやってみようと決意しました。「農業は楽ではない」「これから大変だぞ」とも言われていますが、好きなことをして大変ならばいいかと思っています。中には年収1000万円以上の人もいると聞くくらいなので、頑張った分だけ返ってくるというのは最大の魅力だと思います。

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染めカスミソウ

 役場の方々にも相談し、今年の4月から11月まで、地元のカスミソウ農家の下で研修を受けました。就農支援の補助制度を創設して助かりましたが、アカデミー生時代から計2年就労していないことになるので、資金面では厳しいのが正直なところです。そのため、冬場は除雪作業員をすることにしました。夜中の2時に起きる生活にはなかなか慣れず大変ですが、これまでとは違った人脈が広がり、知り合いも増えたのはよかったことです。

 また土地探しでは苦労しました。カスミソウ栽培ではビニールハウスを建てるための広い土地が必要です。農家になるには土地探しからということで、自分で一から探しましたが、めぼしい土地を見つけても、所有者確認のために法務局へ行ったりとずいぶん時間と手間がかかりました。地元の方に相談しながら、ようやく土地が確保できて一安心です。周りの方々の協力を得ながらも、自分から動いていかないと変わらないということを学んだ経験です。

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三島町の魅力

 どこへ行っても自然が豊かで、時間がゆっくり流れていると感じます。また、町内知らない人はいないくらい誰とでも知り合いで、町長さんや議員さんはじめ普段接しない人と話す機会も自然とあり、人と人との距離が近いのがいいところです。今年はコロナの影響もあり、地区の集まりなどがあまりなく少し寂しいですが、早く顔を合わせ、一緒に何かする機会が復活するといいなと思っています。

 カスミソウ栽培も、地域とのつながりもこれから。今年は余裕がなく家庭菜園は全くできませんでしたが、カスミソウ栽培が軌道に載ってきたら、自給自足とまではいかなくとも、自分で食べる作物は育て、冬はものづくりをしていけたらと思っています。

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インタビューを終えて

 三島町に「帰る」「帰ってきた」という言葉を使われていてたのが印象的で、幼い頃から通っていた三島町は、角田さんにとって帰るべき大事な場所だということが伝わってきましたが、そのように思える場所があり、実際に帰ってきたというのは素晴らしいことだなと思いました。そして、好きな場所で好きなことをやっていきたいとの想いで、新しいことに取り組まれている方のエネルギーは、前向きで暖かく、これからの可能性に満ちていて、聞いている方もわくわくします。カスミソウ栽培が軌道に乗り、理想の暮らしを一歩一歩実現されていといいなと心から思います。

 また、三島町に移住定住したいときにネックになる仕事問題に対して、角田さんのおっしゃるように、カスミソウ栽培にはこれからの可能性があり、移住定住の際の仕事の選択肢の一つの形になるのではないかと感じました。角田さんたち(今年度角田さんのほかにもう一人カスミソウの栽培研修を受け、来年度独立される方がいます)を皮切りに、今後につながるといいなと思います。