縄綯い
こちらの手仕事の基本、縄綯いを少しばかり習いました。
昔は藁で色んなものを作っていたので、縄ないは基本中の基本とのこと。それができないと嫁にも行けないとか。今の60代後半以上くらいの人たちまでは、幼い頃からみな家庭でやっていたようです。
脱穀し終わった稲を手で梳いて余計なものを落とし、綯いやすいように木棒でたたきます。
下準備が整ったら、綯いはじめます。
見本を見せてもらいながら、言葉でも丁寧に説明してもらいながらやってみるのですが、これが難しい。できる人の手元は簡単そうに見え、するすると綯われた縄が伸びてゆくのですが、いざやってみると見事に綯われていかないのです。
格闘すること一時間ほど、ようやく「あ、わかったかも」という瞬間が訪れ、コツがつかめた気がしました。綯った縄で道具を作るまでは遠い遠い道のり。
私にできたのは、これくらい。でも、本物の縄跳びです!
昔の人はこれで、草鞋や雪靴、筵など生活で使うものを作っていたのだと想像するとただただ脱帽です。
草取り
我が家の周りの雑草と呼ばれる草を何とかするべく、ようやく重い腰を上げました。
人目に付く場所に住んでいるため、草取りをしなくてはと前々から思ってはいたのですが、除草剤は使いたくない、しかし草の勢いはすごい・・・尻込みしていました。
しかし、近所の方から雑草に負けない、生えていて雑草とされない草や花を植えたらいいとアドバイスをもらい、グランドカバーになる植物を分けていただきました。そうなると俄然やる気が出て、せっせと草取りし、空いたところにグランドカバーを植えました。
家の三方が、ドクダミとスギナに覆いつくされていましたが、だいぶすっきり。
あとはこの子たちが元気に増えていくのを願うのみ!
草取りは無心になれるから、そして成果がわかりやすいから、やりだすと夢中になりますが、今回何より夢中になったのがドクダミ。
こんなにも生命力旺盛なドクダミを、ただただ抜いておしまいではもったいなくなり、ドクダミ茶はいかに作るのか調べると、化粧水もできるとわかり作ることにしました!
ドクダミは万能選手のようで、色々使えそう。花も漬けると柑橘系のいいに匂いがするそうなので、一画残して花が咲くのを待つことにしました。
来年はスギナも生かしてあげられるようにしたいです。
おばあちゃんの桜
山の中のおばあちゃんは御年90歳。
お彼岸に帰ってきて、毎日畑仕事をしているようです。膝が痛くて昔ほどはできないと言っていますが、それでも、コゴミやわらびなどの山菜を採り、草をむしり、ジャガイモやカボチャ、夏野菜を植え、着々と畑仕事を進めています。
先日、おばあちゃんと美坂高原という場所に行ってきました。
おばあちゃんは20年近く前までここで働いていました。辞める頃、一緒に働いていた仲間たちと、記念に桜の木を植えたそうです。その後訪れる機会がなく、毎年自分たちが植えた桜はどうなったのかと気になっていたそうです。
約20年ぶりに再会した桜は、見事に成長し、美しく咲いていました。
昔々、ここは集落の人たちの茅場(屋根を葺くための茅を採取する場所)で、片道5キロほどの道を歩いて来ていたそうです。また山菜採りの場所でもあったそうです。
そのうちにここは、サイクリングや釣り、バーベキューなどが楽しめるレクリエーションの場となり、多くの人でにぎわった時期もあったそうです。その頃、おばあちゃんはラベンダーのお世話などをしていたそうです。そして、今は訪れる人も少なくなり、静かになった美坂高原。
おばあちゃんが子どもだった頃から考えると、ものすごい変化があったんだろうと思います。ここはおばあちゃんの、集落の人たちの、そして町の人たちの思い出がたくさん詰まった場所。思い出の桜を一緒に見ることができよかったです。
歩んできた時間が違うから、感じ方はそれぞれ。きっとあの頃もよかったでしょうが、たくさんの人の思い出を抱えたたずむ今のこの感じも、私は好きだなと思います。
田植え体験
あちこちの田んぼに水が張られ、田植えシーズンを迎えました。
先日、少しですが田植えのお手伝いをしてきました。福島県内外あちこちから色んな人が集まって、半日ほどを一緒に過ごしました。
機械では植えられない隅の方をみんなで手植えしました。昔は家族総出で、すべて手植えだったと想像すると、ただただすごいなと思わずにはいられません。
お米のほかに、マコモダケも植えました。昨年タケノコのようなマコモダケの美味しさに感動し、熱烈なファンになってしまったので、今回植えるのをお手伝いできとてもうれしかったです。
田んぼには、大小のカエルに卵、トンボやアメンボ、ヒルなど色んな生き物がいて、子どものようにはしゃぎました。
お昼は山菜や天ぷらの手作りのおご馳走が並び、ピクニックランチ。
はじめましての人もそうでない人も、大人も子どもわいわいがやがや、山の中の田んぼに集まったみなさんと、この日のひと時を共有でき楽しかったです。
移住者インタビューその5
庄司はるかさん(26歳)
宮城県石巻市出身。東北芸術工科大学大学院修士修了後、佐久間建設工業株式会社建築部への就職に合わせて三島町へと移住しました。今年で3年目を迎え、町営住宅に住みながら仕事も趣味も充実した日々を過ごされています。
三島町との関わり
大学では、宮城県石巻市雄勝町での被災地支援をきっかけに、近自然工法(もともとは「近自然河川工法」と言い、スイスで 生まれた河川工事の技術で自然生態系が復元するように整備する工法のこと)と出会いました。その分野を得意とするランドスケイプデザイナーの先生がいたので、彼らに付いて地域から学ぶ機会をいただき、在学中に2つの活動を通して三島町や奥会津に通いました。
1つ目は、佐久間建設がサポートしている早戸温泉遊歩道環境整備実習です。早戸温泉つるの湯から早戸駅方面の船着き場に向かって続く川沿いの遊歩道の環境整備で、2011年の新潟・福島豪雨災害の復旧をはじめ、状況に合わせて臨機応変に整備を進めてきました。現在は遊歩道だけでなく、早戸本村の環境整備も含めた実習に進化しています。学生時代の計5年、毎年夏休みの5日間ほどを早戸地区で過ごしました。
2つ目が、福島県の「歩く県道」事業です。ゼミとして、銀山街道(会津若松市大町四ツ角~只見町までの約72Kmの街道)や旧越後街道(会津若松市から新潟県新発田市まで街道)束松峠の道普請やウォーキングイベントに毎年参加してきました。現在は佐久間建設の社員、『銀山街道を活用して地域を元気にする会』の会員となり、よそ者から地元側、受け入れてもらう側から受け入れ側となって関わっています。
銀山街道HP http://www.ginzan-kaidou.com/
このどちらの活動でも共通して近自然工法が用いられています。当時は、東日本大震災の復旧・復興を目の当たりにして、住民の暮らしや自然環境を無視して造られていく構造物に対して違和感を持っており、近自然工法を用いたランドスケイプデザインを知ったときには衝撃を受けました。壊れてもゴミにならない石や木などその場にある材料を主として、なるべく重機を使わず人の手でできる施工を学ぶことで、自分の考えてきたことは間違っていなかったと思えるようになりました。早戸地区の実習では成果報告の時間も設けていたので、地区の皆さんにご理解をいただきながら整備を進められたのは、とても恵まれたことでした。
就職・移住を決めた理由
ここに住みたいと思ったのが何より大きかったです。度々足を運ぶなかで、温泉と山に囲まれた三島町に惹かれていきました。大学では、全国的に人口減少・少子高齢化が進むなかで、顕著に影響が出るであろう中山間地域の土地利用をどうしたらいいか、というのが研究テーマだったこともあり、通い慣れた三島町のこの先の変化を見ていきたい、そこに自分も関わっていけたらと思いました。
親がアウトドア好きで、よくひなびた温泉やキャンプに連れて行ってもらいました。特に印象に残っているのが、高校生のときに父親と只見線に乗ってきた金山町の大塩温泉です。電車の窓を開けると、ふわぁっとミストが入ってきたのを今でもよく覚えています。初めての川霧体験です。大学に入ってこちらへ来るようになり、ここがその場所だと知ったときはとても感動し、ここは私にとって特別な場所だと感じました。
佐久間建設は、建築、土木、森林を扱う自社を『インフラの町医者』と言っており、『地域と共に生きる』という社是にも惹かれ、ここで働きたいと思いました。また、会津若松市や郡山市出身の方、先輩移住者もいるこの会社なら、自分も受け入れてもらえるのではないかとも感じました。
仕事について
入社一年目はちょうど早戸温泉つるの湯湯治棟のリニューアルの時期でした。今は奥会津を中心に、公共工事をはじめとする現場の施工管理をしています。大学で主に学んだランドスケイプデザインとは直接的には違いますが、仕事は楽しくやりがいを感じています。
ランドスケイプデザイナーは、何か1つの分野の専門家ではなく、様々な分野、技術を組み合わせてデザインする人です。現在行っている建築の施工管理も、それぞれの専門家の力を集結して一つの構造物を作りあげる点、総合的な調整という点などで、通ずるところがあると思っています。
しかしまだまだペーペーの新米で、職人や先輩方に日々たくさんのことを教わっています。仕事のこと以外にも、地元の職人に会津の方言を教えてもらったり、山菜やキノコを採りの話や、新米時代の話を聞く一服の時間も楽しみです。このインタビューを身近な皆さんが読んだら「なに、お前偉そうなこと言ってんだ」という反応じゃないかと思うとそわそわしますが、早く中身も伴うように精進します。
三島町の魅力
ここは季節がはっきりしていて、日常に見える景色がきれいで、わざわざ自然を見に行く必要がありません。朝自宅の窓を開けると霧が出ていたり、車庫に虫が来ていたり、夜フクロウが鳴いていたり、近所の温泉に入ったり、そういう日々はストレスがなく、毎日が充実しています。
また、こういう言い方をしていいのか分かりませんが、人が少ないこの規模感、ひっそりとした感じが、自分にはちょうどよく居心地よく感じています。私は三島町に来て、平日は家と職場の往復だけで、イベントなどに参加して近隣の皆さんと交流するなどのアクティブさはなく、地味に暮らしてきました。それでもとても満足するくらい、温泉と自然に囲まれた環境が好きです。
移住はハードルが高いものと思っていましたが、どこの馬の骨ともわからない私に、学生の頃からよくしていただいた早戸地区の方々をはじめ、温泉で会う近隣の方々、ものづくり教室で一緒になった方々など、町の皆さんにとても受け入れてもらっていると感じています。
職場では、食べきれないほど野菜のお裾分けをいただいたり、春は山菜、秋はキノコの採り方を教えてくださったり、本当に感動します。また、交流が直接なくとも、ここには移住者の先輩、協力隊の方々など色んな人がいると思うと心強く感じます。
これからについて
第一に、銀山街道の活用、発信を進めていきたいです。道普請はもちろんのこと、よそ者の視点をいかしながら、現状と魅力を広く伝えていきたいと思っています。また、旧街道だけでなく会津には魅力的な山がたくさんあるので、趣味の山登りも続けていきます。
日々の暮らしにおいては、それぞれの季節を楽しく過ごしていきたいと思っています。特に冬が長いので、冬の過ごし方に知恵を絞っていきたいです。この冬は生活工芸館のものづくり教室に参加し、マタタビの笊づくりを習いました(ちなみに三島町生活工芸品展にて賞をいただいています!)。仲間に材料取りへも連れて行ってもらい、現在はヒゴ作りをしています。これからもライフワークとして続けていきたいです。マタタビ以外にもヒロロなど地域の自然素材をいかしたものづくりを始めたいと思っています。
また、これからはもっと外へ出て近所のみなさんとお話ししたいです。今までひっそりと暮らしてきましたが、今年は少しアクティブになろうと思っていたタイミングにこのインタビューの依頼があり、とてもよかったなと思っています。
インタビューを終えて
庄司さんは移住者の一年先輩ですが、日々の暮らしのこと、三島町のことなどのお話を伺っていると、共感することがたくさんあり、ここはやっぱり素敵なところだなと気持ちがフレッシュになる時間でした。景観整備といったことは今まで縁のない世界でしたが、私が歩く場所、いいなと思う景色を、実際に手を動かし整備されている方の話を聞くというのは、新しい世界を垣間見た気がして興味深く、いつか実際に参道や遊歩道を歩きながらお話を伺いたいと思いました。学生時代に実習などを通して多くのことを学び経験し、熱い想いを持って三島町にいらっしゃった庄司さんには、たくさんの可能性が詰まっているなと感じました。お仕事もプライベートも今後ますますご活躍されることを、おこがましいかもしれませんが応援したいなと思っています。
花々のリレー
日に日に緑が深まっていく今日この頃。
夏至をあと一カ月に控え、陽もぐんぐん伸びています。
この時期、町は薄紫色に染まります。
中でも目を引くのが、藤の花。こんなにも藤があったのかとびっくりするくらい、今時期、藤の花があちこちで木々を覆っています。
藤は藤棚に咲く上品なお花というイメージだったのですが、実は野趣あふれる花なのですね。
畑では大根の花が、そして町の木である桐の花も咲き出してきました。
この時期の3大薄紫。やわらかな優しい色。今まで興味のなかった紫色が、この花たちのおかげで、こんなにも美しい色だったのかと知りました。
野山や畑、庭先や道端に本当にたくさんの花が咲いていて、知っている花も、知らない花も、この花からあの花へと花々のリレーが行われています。
去年には気づかなかったものに今年は気づき、目を留める。少しずつ少しずつこの土地を知っていき、好きなものが増えていく。
花々のリレー、次は何の花が咲くのか毎日楽しみです。