春待つ日々
今朝は久しぶりに消雪の音(消雪のために道路内に設置されているパイプから水が出てくる音)が聞こえていて、ドアを開ける雪がふさふさと積もっていました!
常より一ヶ月も早くに雪がなくなったとよく耳にしますが、2月半ば過ぎから、雪らしい雪は降らず、そもそも少なかった積雪も日に日に解け、もう雪の季節は終わりと信じて疑わないくらいに、町からは雪が消え、地面が見え、ふきのとうも顔を出し、自転車にも乗れるようになり、我が家は春夏仕様に鉢植えなどを整えたところだったので、不意打ちでした。
でも、あっという間に消えつつある雪に名残惜しさがあったので、今朝は久々の雪にはしゃぎました。
雪化粧した木々ややっぱり美しく、うっとりです。
春とはっきり呼べるようになるのはいつからなでしょう。
一昨日には花を咲かせたふきのとうも見かけましたが、神奈川では2月半ばに花盛りを迎えていた福寿草も、我が家のはようやく芽が目立つようになってきたところ。
行きつ戻りつしながらも確実に季節は巡り、春だぁと実感できる日も来るのでしょう。
そんな季節の移り変わりを日々しっかり味わいたいなぁと思います。
間方地区のこと
三島町の中心地から三谷街道という川沿いの道を山奥へ進んで行くと大谷地区、浅岐地区と4Kmずつ間隔をあけて集落があり、その最奥部に間方地区があります。標高も高くなり、三島の中で最も雪深い地域です。私はこの街道沿いの集落が好きなのですが、最近は先日のツアーも含めよく間方にあそびに行かせてもらっています。
三島町には暮らしの知恵とか伝統が色々と残っていますが、特に間方地区にはそういったものが色濃く残っているように感じています。
「あさつきが出てるぞ。」、「ここは秋になるとまつたけが出るんだな~。」、「この先にコゴミがたくさん出る場所があるんだ」、「そこを歩くと雪崩になるから、そっちに行くな」、「春になって木が水を吸い上げているから、木の周りが解けているんだ」などなど、そういったお話を聞きながら山を歩けるのは楽しい時間です。
ここの人たちにとっては子どもの頃から暮らしの中で身近に触れ、育まれてきたものなのでしょうが、私はこういうものとはほとんど無縁に育ってきて、大人になってから興味を持ち求めるようになったので、こういう話を聞いたり教えてもらえる時間がありがたくてなりません。すでに失われた/失われつつものもあるのでしょうが、「間に合ってよかった」と折に触れ思うことがあります。
またここの人たちはあそび方も豊富に知っていてます。山奥ゆえ与えられる娯楽はほとんどなく、川でも雪でも火でも、あそびなんて感覚はなくとも、みんな自分たちであそびを考えてきたのでしょう。おじちゃんたちは本当にいろんなあそび方、楽しみ方を知っていて、先日のツアーでもその一部を教えていただきました。
そしてこの日、かたゆきわたりというのを体験しました。
通常ならかんじきを履かないとずぼずぼ股の下まで埋まってしまう雪の上を、条件がそろうと沈むことなく歩くことができるのです。春が近づいて気温が上がってくるとできる遊び。日中雪が溶け、その溶けたものが夜の冷え込みで凍ることで、翌朝早い時間帯に雪の上そのまま歩けるのです。通常だと3月にならないとできないそうですが、今年はそれがずいぶん早くできました。
「昔はよくかたゆきわたりをして遊んだんだ。」とおばあちゃんやおじちゃんたちが話していたかたゆきわたり。それが宮沢賢治の『雪渡り』に出てくるあそびと結びつきいつかしてみたいなと思っていたのですが、それを今回体験することができとても感慨深かったです。
切った木を運び出すのに使うというスノーモービル。これを持っている人が結構いることも驚いたことの一つで、まさかスノーモービルにも乗せてもらえるなんて、来る前は思いもよりませんでした。
きっと、まだまだ私の知らないことは三島にたくさんあるのでしょうが、少しずつ発見し、体験していきたいなと思っています。
田舎暮らし体験ツアーin間方
先週末は間方地区で行われた1泊2日の田舎暮らし体験ツアー【かんじき作り・雪上トレッキング】に参加してきました。
このツアーについて、また間方地区については色々書いてみたいなと思うことがあるので、今回はその第一弾として、今後少しずつ書いていけたらと思います。
平成24年から開催されているこのツアーは、三島町の生活・文化を楽しみ、田舎の“ほんとうの豊かさ”に触れてもらう企画(詳しくはこちら参照:三島町観光協会HP)で、今回の参加者でちょうど500名を数えたと聞きました。
まず、このツアー参加者のリピーター率の高さに驚きました。参加者の大半がすでに顔見知り。間方の人たちに会うために、そしてお互いと会うためにみなさん参加されているようでした。
三島町のファンがこんなにもいること、そしてこんなにもディープな三島町ファンがいることに、びっくりしたのと同時に、今回私も一緒に過ごしてみてそれもわかるなと納得。
このツアーの魅力、楽しさはつまるところ間方の方のおもてなしの心にあるのかなと思います。例えば、かんじきで歩いていくと、山の中に雪を掘って作られた手製のテーブルとイスが用意されていたときの感動。飲み物やお菓子もあり、この日はラッキーにもお天気にも恵まれ、なんて素敵な休憩タイムだったことでしょう。
そして、お母さんたちの手作りごはんも素晴らしいのです。間方で採れる山菜料理や会津の郷土料理は、私はこっちに来るまではほとんど食べたことのなかったものでしたが、参加者の中にも「毎回これが楽しみで」と山菜を喜んでいる方がたくさんいました。
初日終了後のお見送りタイムは雪灯ろうでの演出。
毎年恒例のようですが、それでも参加者のみなさんは歓声を上げていました。特にこの日は星もよく見えて、美しい夜のひと時となりました。
参加者の到着前に道路わきの雪を掘り、キャンドルを仕込み、帰り時間に合わせて火を灯す。
こういった粋な計らいや心づかいが、参加者みなさんの心に届き、参加者の中にはお土産を持ってきたり、コーヒーをふるまったりする人もいて。こういう心通う交流が毎回あり、みなさんリピーターとして通っているのだなと感じました。
間方の方も、参加者の方もみなさん優しくて、面白くて、素敵で、私もまたリピートしたいなと思う時間を過ごさせていただきました。
移住者インタビューその2
佐藤美智子さん(72歳)
只見川の川霧に魅せられ、59歳のときに三島町へ移住。
三島町13年目の現在は趣味の写真を楽しみながら、愛猫2匹との3人暮らしを満喫されています。
—三島町に移住したきっかけは?
東京都内や埼玉県川口市などに暮らしていましたが、2つの流れがあり三島町へと移住しました。まず一つ目が仕事の減少。トレーサーという上下水道などの設計図を手描きで清書する仕事をずっとしていましたが、時代の流れとともにコンピュータが取って代わるようになり、仕事が減ってきていました。
二つ目が趣味の写真です。45歳頃から会津に写真を撮りに来るようになり、さらに奥会津写真ツアー(只見川電源流域振興協議会主催)が始まり、通算10回ほど参加しました。その間に三島町の写真クラブの人たちと親しくなりました。
その頃、宮下の集会所を解体する話が持ち上がっており、空き家を探していた私にそこに住まないかと冗談半分で声をかけられました。36畳もある集会所に住むなんて、はじめは考えられませんでしたが、見てみるとまだまだ使える建物で気に入りました。そこで、写真仲間が宮下の部落委員会に私が住むことを掛け合ってくれ、満場一致で受け入れてもらえることとなりました。
そういうタイミングが重なり三島町へと移住し、今も集会所を借りて住んでいます。
―どのような写真を撮っているのですか?
基本的には自然風景を撮ります。
私は何といっても只見川の川霧に魅せられて三島町にやってきました。毎回違う表情を見せてくれ、飽きることがありません。只見線も近年有名になりましたが、川霧の風景も見事です。
川霧を堪能しながらゆっくりコーヒーでも飲める場所があったらなと思うのですが、今のところはつるのIORIカフェくらいでしょうか。
毎年大林のカタクリの時期も楽しみです。子どもの頃に山で見た花なので、郷愁を覚えます。ツアーでは大林のカタクリを見ることはなかったので、移住して初めてここの存在を知り訪れたときは、感動しました。
自分の地区以外にも各集落の行事や町の企画に出向いて写真を撮っています。そうすることで、色々な方とも知り合え、楽しいです。
あとは最近、昆虫撮影にも夢中です。家の周りにたくさんの昆虫が飛んできます。小さな命、ちっちゃいけれど一生懸命生きている姿に胸を打たれます。これからの季節が楽しみです。
—三島に来てよかったこと
自然の環境に身を置いていることですね。
埼玉県の川口市にいたときは、一人旅でそういったところを訪ねていました。白川郷にも結構足繁く通っていましたが、そういう環境がやはり好きなのですね。
今そういう環境の真っただ中にいることが幸せです。只見線の線路脇に住み、窓の外をのぞくと、緑が豊かで春は菜の花畑が広がっていて、桐の花も見えます。本当にいい環境です。
苦労したことも嫌な思いをしたことも全くなく、楽しいことばかりでした。もともとは秋田県出身なので、雪への不安は全くありませんでした。
また、ここに来て何人かの親しい友人ができたのもうれしいことの一つです。
三島町の魅力の一つでもあるものづくりも、こちらに来てから興味を持ちやるようになりました。テーブル、お盆、ペンケースなどの木工は森のしごと舎で習いながら自分で作りました。
三島町の編み組のバックや笊なんかもものづくり教室に通って習いました。ちょうど、ヒロロのバックが仕上がり、3月の全国編み組工芸品展に応募するところです。
—移住を考えている方へのメッセージ
ここは自然が本当に素晴らしく、四季折々の移り変わりを楽しめますね。奥会津は山が深く、そこに悠然と流れる只見川の風景はまさに絶景です。
ぜひ、何度か足を運んで様子をみてから決めてください。特に冬の雪の時期は来た方がいいです。
よく町の行事などでお見かけはしていたけれど、ゆっくりお話をするのは今回が初めてでした。川霧のこと、昆虫のこと、猫のことなどをお話しする姿はキラキラとしていて、自然を愛で、季節の移り変わりを楽しみ、小さな命に思いを馳せる美智子さんの暮らしは、豊かで喜びにあふれているなぁと感じました。お顔も広く、近隣市町村にもフットワーク軽く出かけているようで色々な情報をお持ちで、私の興味もまた色々と刺激される時間となりました。
またたびの笊
三島町にはものづくりの文化が残っています。
暮らしで使うものを手作りするのは、私がこれからしていきたいと思っていること。
三島町に来た理由の一つも、ここにそういう土壌があるからでした。
雪に閉ざされる冬の時期は、ものづくりの季節。
この冬、町が開催する夜のものづくり教室に参加し、またたびの米研ぎ笊を作りました。
週1回のペースで計8回、伝統工芸士の先生から一から教えてもらいます。
山から切ってこられた植物のマタタビをヒゴと呼ばれる材にし、編んで笊にしていく。
ヒゴづくりが上手にできなかったから、編むときにヒゴがバキバキ折れたり、裂けたりとなかなか思うようにできませんが、その都度先生に助けてもらいながら、直してもらいながら作り進めます。
普段はなかなか会うことのない他の参加者や先生たちと、おしゃべりしながらも夢中に取り組む時間、だんだんと笊の形になっていく過程は何とも楽しく、2時間はあっという間に過ぎてゆきます。
週に一度のこの日が毎回待ち遠しくて、終わってしまったのは少し寂しいですが、今は使う楽しみがあります。
プロが作った笊はお米が詰まることはないそうですが、私が作ったのは目が大きいところがあり、お米が詰まってしまいます。
でも、それも手作りならではということで、日々愛着がわいてきます。
自分で作ってみて、いかにみなさんが作る笊がすごいかも今回よくわかりました。
ヒゴづくりが大事ということがよーくわかったので、それを肝に銘じてまた来冬、別の笊づくりにチャレンジしたいです。
バレンタインに寄せて
昨日はバレンタインでしたが、こんなにもさらーっと過ぎたバレンタインにちょっとした感動すら覚え、思わず記事を書いています。
バレンタインのちょっと前からそろそろバレンタインだね~という話がちらほら出て、当日も今日がバレンタインだね~という感じで過ぎていった一日。
神奈川にいたころは、正月気分が終わるといつの間にやらコンビニでもショッピングセンターでもチョコ―レートなどが売られて、あらゆる媒体で特集コーナーが設けられ、それらを目にしない日はなかった気がします。
バレンタインに限らず、ハロウィンもクリスマスも、最近はイースターも、ずいぶん早い時期から街中がそのムード一色。
私自身こういったイベントは大好きですが、近年の盛り上がり様は過剰な気がしいてて、若干うんざりしていたようにも思います。
だから、昨日のバレンタインの過ぎようがあまりにあっさりとさらっとしていて、ちょっとした感動すら覚えました。
スーパーもコンビニもないここでの暮らしでは、買い出しも週一程度。
今はテレビがないのでCMを見ることもなく、本当にいつの間にかやって来て去っていった感じでした。
こういったイベントに寄せる思いはそれぞれで十人十色。
でも、三島町に来てから、こんな感じで過ぎていくイベントの感じが心地よいなと今回気が付きました。
これも田舎の魅力の一つかもしれないです。