奥会津三島町での日々

噛めば噛むほど美味しいスルメのような魅力を持つ奥会津三島町の暮らしや協力隊活動の様子を書いてゆきます。

移住者インタビューその4

橋本光五郎さん(68歳)
二度目の務めであった香川栄養学園女子栄養大学)を、人生二度目となる定年退職をして、2016年7月に千葉県松戸市より早戸地区に移住。その二度目の定年退職前に、地元の建設会社である佐久間建設工業に地元の材を使って建ててもらったこだわりの家で、ご夫婦二人で「第三の人生」(ご本人の表現)を謳歌されています。

 

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三島町へと移住したいきさつ
かねてより、定年退職をしたら今までと全く違う場所で違う生活をしたいと思っていました。65年間都会で生活し、結婚後はほぼコンクリートに囲まれて暮らしてきました。松戸のマンションへはただ寝に帰るだけの日々で、生活の場ではあっても最後まで住み続ける場所いう感じではありませんでした。「コンクリートを離れて土の上で生活したい」、「ステレオを隣近所気にせずかけたい」ずっとそう思ってきました。ここでは夜中にレコードの音を大きくかけたところで、外のタヌキやらは文句言いませんからね。今とても満足しています。

また、自分には「根っこ」のようなものがありません。父は中国からの引き揚げ者で、その後は戦後の混乱と仕事の関係で転居を繰り返していたので、私の兄弟3人は生まれた場所が違いますし、ここが実家と呼べる場所が自分にはありませんでした。だから、どこでもよかったけれど、安住の地というか、「ここが自分の場所」というところがほしかったのかもしれません。そこで始めたのが「終の棲家計画」でした。

50歳頃から写真を撮りに行ったり、旅行の時などにどこか良いところがないか見ていましたが、何となく関東より北という意識がありました。最初は海沿いも考えていましたが、2011年に3.11が起き、山側を考えるようになり、通い慣れた奥会津もいいかなと思い始めました。


そもそも奥会津との関りは、さかのぼること30年以上前。事務職員として最初に勤めていた東洋大学セミナーハウスが以前金山町橋立にあり、長女が小学校に上がる頃から毎年四季を通じて遊びに来ていました。3人の子供たちは金山町でスキーを習いました。子供が大きくなってからは夫婦二人で四季折々の風景を写真に撮りに来たりしていました。
そして、3.11と同じ年の7月に新潟・福島豪雨災害が起こりました。水害のニュースを聞いて元セミナーハウスの管理人さんに連絡を取ったところ、大変な被害にあわれたと聞きました。そこで、その週末すぐに駆け付けたのですが、只見川流域の風景が全く変わっていて衝撃を受けました。その後、毎週末仕事が終わってから通うようになり、被害の記録写真を撮りました。その時の写真は、金山町が発行した記録本に提供させていただきました。記録写真を撮影しながらも、奥会津に住むならばどこが良いのかずいぶん見て回りました。

 

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その年の秋に佐久間建設が建設したIORIのモデルルームを見学したのをきっかけにして、当時町内で建設中の板倉造りのお宅を見せてもらい、そういう流れの中で佐久間社長とも知り合い、今のこの土地を紹介して頂きました。
古民家を改修して住むことも考えましたが、自分が思うような家にするには、予算を考えると新築のほうが現実的でした。夫婦二人で住むには古民家は大きすぎましたしね。
土地の所有者の方から「土地を売ることはできないけれど貸すことならできる」ということで、土地をお借りしてここに家を建てさせてもらいました。

 

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建設にあたっては、自分でも基本的な形の図面を描いたり、多くの要望事項を出して、それらを踏まえ設計図を起こしてもらいました。ずいぶんワガママも言ったので佐久間建設の担当の方にはご迷惑をかけたと思っています。基本的要望として、木の生産性やCO2の排出量などを考慮し、ほぼ100%地元の材を使い建ててもらいました。化石燃料を使わない生活というのができたらいいのですが、実際には石油も電気もガスも使っています。それでもなるべく環境に配慮した生活をしたいという思いはあります。

 

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今の暮らしについて
生活するための原風景がここにはあると思っています。若かりし頃、中国の新疆ウイグル自治区シルクロードを旅した時、日本から向こうの生活へはストーンと抵抗なく入っていくことができたのに、たった2週間の旅でしたが、日本へ戻った時の方が違和感があり、少し前まで当たり前にしていたのに、あわただしく時間が流れる元の生活になかなかなじめなかった感覚を今でもよく覚えています。人間の営みとして、理論ではなく感覚として、自然なものがそこにはありました。それに近いものが今の生活にはあると感じています。

昔は気分転換に写真を撮りに行っていましたが、今はほとんど写真を撮っていません。そういう景色の中にいる、当たり前になりつつあるというのもありますが、毎日新鮮で、充実しており、サラリーマン時代のような「息抜き」をする必要が全くないということかもしれません。

今は早戸一の畑持ちと冗談で言われるくらい、色々なところに畑を借りて農作業をしています。土地を開墾するところから始め、集落の人に教わりながらやってきました。教わったり、様子を見ながらなので、みんなよりワンテンポ遅く、「今頃そんなことやってるのか?」と言われることもありますが…(笑)。薪割りも集落の人に習いました。チェーンソーの使い方も集落の人に教えてもらうとともに、アイパワーフォレストの森の学校で習い、できるようになりました。冬中薪ストーブで過ごすには薪づくりが一番時間を要する作業かもしれません。

全くの素人だったのに、こっちに来て色々な人に教わりながら、耕耘機や、チェーンソー、除雪機などの機械が使えるようになりました。
木工も習い、テーブルやレコード入れなどを作りました。今は娘のためのテーブルを作っています。今色々やっていますが、もしここに移住しないでマンション生活を続けていたら、最近話題になっている引きこもり老人になっていたかもしれませんね。

 

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生活工芸館での作業



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ご自身で作った最初のテーブル

早戸地区について
コミュニティーに入った暮らしがしたいという思いがありました。なので、移住地探しにおいて定住型別荘地も当初は含めて検討していましたが、途中からは考えていませんでした。聞いた話しでしか分からないですが、別荘地の中には後から入ってくる人に対して排他的な場所があったり、お互いに不干渉で都会と変わらない場所があるという感じがしました。
早戸は三島町の中でも非常に小さい集落なので、都会生活しか知らない私から見ると閉鎖的で、都会からひょっこり来た縁もゆかりもない自分たちが受け入れてもらえるのかといった不安はありましたが、まったく問題なかったです。「家を建てたい」と話したら、「早く来い来い」と言ってくれ、とてもウェルカムな雰囲気でした。一つ上の世代の時代だったら、もしかしたら今のような状態では受け入れてもらえなかったかもしれませんが、今はこのままでは早戸が集落として消えてしまうのではないかという危機感が集落の人の中にあるのでしょうか。本当によく受け入れてもらっています。

 

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早戸地区と東北芸術工科大学、そして佐久間建設とが協力して進めてきた景観整備事業が2019年で10年になります。2018年度からこの事業に関わらせていただいていますが、この事業を通して大学生と関わるのは、今までの大学事務職員としての経験や知識が生かしていけると思っています。これからどう展開していこうかと楽しみです。このように、早戸地区は佐久間建設の佐久間社長が早戸を元気にしたいと考えられて色々やられていますし、やっていこうとされているので、今思うとすごくいい場所を選んだと思っています。当初は三島町に対する意識は取り立てて強くなかったのですが、今は早戸との関わりを通して、少しずつ町にもコミットするようになってきました。

 

これからの移住定住について
私のように、定年退職後は都会を離れて生活したいと思っている人は多くいると思います。しかし、どうしたら良いのかわからなかったり、わからないことからの不安で一歩を踏み出せない人が多くいるように感じます。一歩踏み出せないリタイヤ世代に「安心しておいで」といえるような仕組みづくり、「背中を押してあげる」ような仕組みづくりが必要なのではないかと思っています。

もちろん若者への移住定住促進というのは大事ですが、それは仕事・生活のことなどを考えるとこの地域ではなかなか難しいと思います。多少ですが住民税と固定資産税というお金を外から持ってくることができるので、まずはリタイヤ世代を呼び水として、若者の移住定住促進をしていったらいいのではないかと機会があると話しています。働いている世代は、実際には地区の行事や手伝いなどに参加するのも難しいかもしれませんし、生活を考えると伝統産業だけに関わるのも難しいかもしれません。しかし、リタイア世代には時間もありますし、それまでの経験や知識、技術などがあります。もちろん介護保険を少しでも使わないようにしなくてはならないでしょうが、「何かやりたい」と思っているリタイヤ世代を活用する、そういう町づくりを展開していってはどうかと思っています。

 

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インタビューを終えて

今回の橋本さんにも快くインタビューをお受けいただき、たくさんの興味深いお話を聞かせていただきました。今まで都会で頑張ってこられた分、今後ますますここでの生活を満喫していただきたいなと思うと同時に、いくつになっても新しいことをはじめ、学び、身に着けることができるのだということを橋本さんのお話から強く感じ、前向きなエネルギーをいただきました。
また、橋本さんの早戸地区での関りなどをお聞きして、移住定住促進のあり方などについても色々と勉強になりました。

改めて、こちらに移住された方にはそれぞれに想いがあり、物語があり、大変興味深く面白いなと感じています。これからも様々な人の物語に耳を傾け、ここでお伝えしていけたらと思います。

 

山の中のおばあちゃん

山の中に一人で住んでいるおばあちゃんがいます。

そこにはおうちが2軒しかなく、少し前までは隣にもう一人おばあちゃんもいたようですが、今はみんないなくなって一人きり。週末や休みのときに息子さんたちが訪ねてきたり、親せきや友人知人が時々あそびに寄る以外は一人きり。

90歳のおばあちゃんが畑仕事して、編み組細工をしながら山の中で一人で暮しています。

おばあちゃんは「こんな山奥に年寄りが一人でって言われるけれど、全然大丈夫だ」「自分が生きているうちはこのうち守らなきゃなんね」「家の周りを草だらけにするわけにはいかねぇ」とよく言っています。

 

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雪がじゃんじゃんと降る本日

 

冬の間は、息子さんのいるところで過ごします。クリスマスの頃に行って、春のお彼岸のに合わせて戻ってきます。行く前、おばあちゃんは「おれも年だからな。また帰ってこれるかどうか」と繰り返し言っていました。

でも、おばあちゃんはちゃんとお彼岸に間に合うように戻ってきていました。

おばあちゃんがいかに春を楽しみに待っているか。今はここで冬が越せなくなったけれど、春の喜びは変わらずあるようで、戻ってきたおばあちゃんの顔はうれしそう。

 

昔々機械なんかもない頃は、どれだけ除雪が大変だったことでしょう。私には想像することさえできませんが、だからこそ、春が来る喜びも大きく深く濃いものなのでしょう。便利な世の中の恩恵を存分に受けて暮している私が、そんなに簡単に言ってはいけないのかもしれませんが、春の喜びを同じように感じることはもうできないことに、一抹の残念さを感じないでもありません。

おばあちゃんから昔の話を聞いていると、その暮らしは私の想像を超えるもの。初めてここにおばあちゃんが本当に一人で暮していると知ったとき、そしておばあちゃんの話を聞いたときの衝撃は、もしかしたら海外を旅した時に感じたカルチャーショックより大きかったかもしれません。

自分の生まれ育った日本でありながら、自分の生まれ育った場所と地続きでありながらも、こんなにも違う生活をしてきた人がまだいるという衝撃は本当に大きかったように思います。

だから、おばあちゃんから昔の話、暮らしのこと、色んなことを聞けるうちに聞いておきたいと思うのです。学べることを学べるうちに学びたいと思うのです。

 

おばあちゃんがちゃんと帰ってきてくれて本当にうれしいです。雪の中で一人。今日は大丈夫かなと思い馳せます。 

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第二回 桐の育て方勉強会

先日、第二回目の桐の育て方勉強会があり、雪囲い外し、施肥、台切りの仕方を学んできました。

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町内にある桐の定植地

まずは雪囲い外し。冬の間寒くないように、またウサギやカモシカネズミなどに食べられないようにと巻かれたカヤや杉の葉を外します。新しい芽が出てくるのを邪魔してしまうので、雪が溶けたらすぐにやってあげます。

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雪囲いされていた桐の木

ネズミ除けになるので、引き続き杉の葉で囲み、その周りに肥料をやります。桐は多くの栄養を必要とするそうで、たっぷりと肥料をやります。

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これで作業完了

 

この日もう一つやったのが台切りという作業。桐にまつわる話の中でこの言葉はよく聞いていたのですが、今回ようやくその意味がわかりました。

動物にかじられたり病気になってしまった木、枝が伸び放題になってしまった木など、いい材木にならなそうな木を新たに育てなおす作業です。

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まずは地面ぎりぎりのところをノコギリで切ります。

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そして、切り口から病気にかからないように、消毒薬を塗ります。

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こうして幹を切られてしまうと、成長のために蓄えられていたエネルギーがあふれ出し、横からたくさんの芽を出すそうです。その中から立派に育ちそうな芽を一つ選びだし、その後育てていくそうです。この後、どんな風に芽が出てくるのかとても気になります。

 

ところで、桐は木でもあり草でもあるといわれていますが、その証拠がこの茎のように開いた穴。あんまりに見事に穴が通っていて感動しました。

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以上が春一番に行う作業だそうです。次回はどんな作業をするのか今から楽しみです。

 

 

 

春の訪れ

週末は雪が降り寒かったですが、春の訪れを日ごとに感じる今日この頃。

雪が溶けた地面からは春の花が顔をのぞかせています。 

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小さな植物はかわいく心弾みますが、歓迎できないのは杉でしょうか。

三島町は桐の里ですが、杉の里なんじゃないかと思うくらい杉があります。

あたり一面杉杉杉!!!!

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杉に囲まれて集落があります

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オレンジに色づく杉の木々

冬でも青々としていて雪をまとう姿は美しく大好きなものの一つですが、この時期だけはどうしても天敵にしか見えない杉。
こちらに来て、初めて黄色い帯状に花粉が空を漂っているのを見ました。

都会はアスファルトだからより花粉が舞いやすいと聞いたことがありますが、しかしこんなに杉に囲まれていると、気分からも花粉症が重症化してしまいそうです。

 

もう一つ、歓迎されないのはカメムシもでしょうか。ウウィーン、ことんと音をさせながら彼らも活動を始めています。 

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そして、私も春支度。

冬の間毎晩お世話になった布団乾燥機をしまいました。
もらった当初は布団乾燥機が必要とは思わなかったのですが、これなしでは冬は布団に入りたくないと思うくらい、優秀な冬のお供でした。

そして、除雪の時に着ていたスキーウェアや長いダウンコートもしまい、薄手の上着に衣替え。

勢いあまってタイヤもスタットレスからノーマルに変えようと思ったけれど、まだそれは早いと言われたので、もうしばらく待つことに。

家の雪囲いを外す人たちもいよいよ出てきて、あぁ冬は終わったんだなと感じています。

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家の福寿草も咲き出しました

 

桐の種まき

三島町は古くから会津桐の産地として知られています。会津桐は国内で生産される桐の中でも最上級品とも言われていますが、近年は安価な輸入材の流入により、値段が下落、栽培者も激減してしまったと言います。桐生産が途絶えてしまうことが危惧される状況にあり、現在三島町は桐専門員を配置して、桐の栽培育成に力を入れています。

 

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三島町は「桐の里三島町」と謳っています

 

今回はその取り組みの一つ、桐の育て方勉強会 ~第一回種まき~ に参加してきました。専門員の方から桐にまつわる話や具体的なやり方を聞きながら、参加者みんなで種まきをしました。

桐はデリケートで、とっても小さな種ゆえ、余計な菌がつかないようにゴム手袋をし、ピンセットを使っての作業となりました。

 

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桐の種

 

 

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一つのポットに5つくらい種をまきます


本当に小さくて小さくて軽い種。これがあんな立派な木になるなんてと思うと不思議です。

 

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採取した木や年が違う様々な種をそれぞれ15ポットずつ作り、ポット一つ一つに識別できるラベルをつけます。

ラベルつけやゴム手袋にピンセットを使った作業は、さながら医療現場か理科の実験室のようでした。昨年はこの作業を2人で1日半かかってしたとのことで、確かに気の遠くなりそうな細かい作業ですが、今回は10名ほどの参加者のみなさんと和気あいあいと楽しくすることができました。

 

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自宅用にもポットを持たせてくれ、我が家にも桐の種がやってきました。

発芽するのは1カ月以上先のようですが、毎日様子を見て、水を交換する作業は、ペットが来たようで、生活にちょっとした張り合いが出て、うきうきします。

 

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種まきをして、植物のお世話が始まると、春もいよいよだな~という気がしてきますね。

今後のこの子の生長が楽しみです。

温泉お風呂

自宅でもお風呂に入れるのですが、ガス代が高く、また一人分のお湯を張るのはもったいないので、シャワーだけで済ませられる夏場以外、私はほぼ毎日近くの温泉に行っています。

神奈川にいたころは、山登りでどこかへ行ったときに入るか、たまにご褒美的にスーパー銭湯に行くのみだったのが、今は温泉が日常というのはずいぶんな違いです。

 

 

 

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只見川の絶景を見ながら入れる早戸温泉


三島町には気軽に日帰り入浴できる温泉施設が数件あり、町民割引もあるのでありがたいです。平日は近所の町内温泉へ、週末は買い物などのついでに、もしくはごくたまにそれ目的でわざわざ近隣市町村の温泉へ行っています。
近隣市町村にも様々な温泉があり、泉質もそれぞれ違うので、飽きることがありません。


町内の温泉には、観光客もいるけれど、地元の方も多く、この時間帯に行くとたいていこの人がいるなという感じで、ここに通っている人の中には、ここが一つの生活空間として確立していて、ここでおしゃべりしながら一日を締める方、ここが一種の憩いの場的な人もいるのだろうなと想像します。

 私自身は特にここで誰かと話すということはなく、挨拶程度しかしていませんが、それでも通い続けて、だいぶ常連さんのお顔が分かるようになり、顔見知りみたいな人もできてきました。今さらお名前も聞けないのでどこの誰か名前はほとんどわからないけれど、ここで必ず会う三島のおばちゃんやおばあちゃんたち。

 

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温泉までの道すがら


最近この習慣も少し進化/深化して、しばらく時間帯がずれて会わなかった人に久しぶりに会え、変わらず元気そうだなと確認できると、なんだかうれしい気持ちになるようになりました。そして、一人暮らしだから眠る前に挨拶する人はいないのですが、温泉に行けば必ず最後にみんな「おやすみなさい」を言い合います。これは何だがアットホームな気持ちになるなと感じるようになりました。


自宅のお風呂で気兼ねせずに長湯できるのが理想ではあるけれど、でもこうして毎晩温泉に浸かれるのは贅沢であり、風邪一つ引かず冬を乗り越えられたのは、ぽかぽかと身体の芯から温まれる温泉のおかげとも思っています。そして世間とちょっとした接点が持て、生活空間が少し広がる場でもあるので、私にとって大切な生活習慣だなと思っています。

 

 

 

 

移住者インタビューその3

岩渕良太さん(34歳)
2009年、24歳のときに三島町へ移住。一緒に来たパートナーとこちらで結婚し、現在はお子さまも2人生まれ、ご家族4人で大登地区に暮しています。
佐久間建設の森林事業部に勤めながら、NPO法人会津三島エネルギー研究会の理事長としても活動されています。

 

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三島町に移住したいきさつ
2009年の4月23日にこちらへ来たので、丸10年経つところです。その翌日に「栃の王国」というイベント(詳しくは森のしごと舎ブログhttp://morinoshigoto.blogspot.com/)があり、みなさんと顔見知りになったその日を今でもよく覚えています。

20歳の頃にカナダの農村部をホームステイしながら旅し、自分たちでできることは自分たちでするという暮らしに強く感銘を受けました。自分も日本でそういう暮らしをしたいと思い、帰国してからの2~3年間働きながら移住地を探しました。カナダで山スキーにはまり、雪があるところという以外は特に決まっておらず、探す中でだんだんと福島県会津地域、三島町と絞られてきました。

森の校舎カタクリに滞在しながら、下郷町にある大内宿の茅の葺き替えを行う「田舎で働きたい」という1週間のプログラムに参加しました。プログラム終了後もそのまま三島町に残り、役場の方に紹介してもらった仮住まいに滞在しながら、仕事と家を探しました。当時は移住者への制度などもなく、空き家もほとんど把握されていない状況だったので時間がかかりましたが、地域の方に「この人、この町で仕事を探しているんだ」と間に入ってもらい、最終的に佐久間建設工業に決まりました。まさしく自分たちは飛び込みだったと思います。

当初は農業部門での採用でしたが、ちょうど自分が来た年に、佐久間建設に森林事業部を立ち上げるという話があり、2年くらいは両方をかけ持ちながら、少しずつ森林事業部にシフトしていきました。

 

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お仕事について
ものづくりは全くの素人でしたが、作ることは好きだったのだとこっちに来てわかったように思います。木を伐り、加工し、製品にする。この10年で技術的にずいぶん進歩もしましたが、それ以上に思考の面で大きく影響を受けました。

今までは焼き物の器を見ても何も思わなかったが、今はどこで誰が作ったのか知りたくなる。そういう思考の変化をもたらした10年間でした。農産物はどこで誰が作ったのかというのが見えやすく、産直というのが当たり前になりつつありますが、木工品に関してはまだまだ現場と使い手がかけ離れていて見えにくいように思います。ここで木の産直を目指しながら、これがどこの木で、だれが作ったものなのかというストーリーを伝えていくのが自分の使命だと思っています。ものづくりはどこでもできるけれど、ここにいると木を取り巻く環境、すべての過程に関わることができ、それがいいと思っています。

 

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 住まいについて
この家は三島に来て培った知識と技術と経験が注ぎ込まれている作品、10年分の集大成と呼べるかもしれないです。自分で言うのも何ですが、本当にいい家で、10年経ってようやくここまでできるようになったなと思っています。簡単にはここまではできないと思います。改修は段階的に行っていて、今第3次が終わったところ。この先第5次くらいまでは続きそうです。

 

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来た当初は桑原地区に家を借りていましたが、こちらに来て5年目に空き家を取得しました。町の空き家改修補助金の第一号だったんじゃないかな。屋根や水回りなど業者にお願いしたところもあるけれど、自分たちで手をかけながら、少しずつ住みやすい家にしています。「暖かくて、快適で、オリジナルな家」がテーマで、薪ストーブも入っており、室内は冬でも23℃はあります。

 

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子育てについて
子どもにとって今の環境がいいのか悪いのか、それは本人に聞いてみるしかわからないけれど、子どもにとっていいと思う環境を整えています。仕事は定時に終わり、休みもはっきりしているので、なるべく多くの時間を子どもと過ごせるようにしています。
自分はゲームをするのではなく、外で遊びながら育ちました。両親もアウトドアが好きで、そういった外で遊んだ記憶が自分の中に残っていて、自分の子どもたちにもそういう経験をさせたいと思っています。薪割りを見せたり、スキーをしたり、どこかへ連れていくなど特別なことはしていないけれど、子どもが実際に見て経験するということを大切にしています。将来子どもがそれをするかどうかは関係なく、実際に見て経験したことは必ずどこかに残っていくものだと思います。そういう想いは仕事にもNPO法人会津みしま自然エネルギー研究会(HP:https://www.amre.jp/ ブログ:http://aizumsek.blogspot.com/)につながっています。

  *この活動についてはまたじっくりお話を聞きたいなと思っています。

 

三島町のよいところ
自然の景観、四季の移り変わりというのは身体にいいだけでなく、心のゆとりにもつながります。そして、ここには人の豊かさがあります。三島町に集まる人はふるいにかけられて残ったコアな人々。そういった人たちと話ができるのは何よりです。10年前にはわからなかった話も今では分かるようになりました。仕事で関わる人、見学会などに来る人、関わった人たちからものの考え方を学び、今の自分があると思っています。

それでも三島町には固執していません。ここは居心地がいいけれど、またカナダや他にいいところがあれば、すぐ行けるような身軽さは持ち合わせていたいなと思っています。

 

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インタビューを終えて
自分より年上の人だろうと思っていたけれど、岩渕さんと私は同級生と判明。岩渕さんが三島町で移住者として丁寧に積み重ねてきた10年は確かな重みをもって私の前に現れました。比べるものではないとわかっていても、ここですでに10年を過ごし、しっかりと根を張って暮らす岩渕さんを前に、色々と考えさせられる時間ともなりました。同じ三島町にいながら全く違う場所に立って景色を見ているように感じました。

岩渕さんの新たな10年は、そして私の始まったばかりの10年はこの先どのように積み重なり広がっていくのか、このインタビューを経て10年という軸が自分の中に芽生えたように思います。未知の世界だな思うと同時にわくわく楽しみでもあります。