奥会津三島町での日々

噛めば噛むほど美味しいスルメのような魅力を持つ奥会津三島町の暮らしや協力隊活動の様子を書いてゆきます。

移住者インタビューその12

三澤真也さん(40歳)

長野県諏訪市出身。2010年4月に生活工芸館の木工指導員として三島町に移住し、ちょうど10年が経ちました。2017年にオープンしたゲストハウスソコカシコのオーナーであり、現在は積極的に地域づくりにも取り組まれています。

 

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三島町へと移住したいきさつ

 武蔵野美術大学を卒業後、岐阜県高山市の森林たくみ塾というところで木工を2年学び、そこでのご縁で、生活工芸館の木工指導員の仕事を紹介していただきました。なぜ三島町に来たのかというと、何も知らない新しい場所もいいなという軽い気持ちと、下見に来た際に目に触れた「生活工芸憲章」に惹かれたからです。また、当時の齋藤茂樹町長が見学後、直々にお手紙をくださったのも心に残っています。

生活工芸憲章
一.家族や隣人が車座を組んで
二.身近な素材を用い
三.祖父の代から伝わる技術を活かし
四.生活の用から生まれるもの
五.偽りのない本当のもの
六.みんなの生活の中で使えるものを
七.山村に生きる喜びの表現として
八.真心を込めてつくり
九.それを実生活の中で活用し
十.自らの手で生活空間を構成する

* 生活工芸とは、農作業が休みとなる冬期間に、暮らしで使う道具を作る「ものづくり」のこと(詳しくは三島町観光地域づくり情報サイトへ)。

 

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ゲストハウス外観

 

お仕事について 

 木工指導員を3年勤め、その後地元の方が運営するNPO法人わくわく奥会津.COMに勤め始め、2年目からちょうど福島県で始まった「森のはこ舟アートプロジェクト」に携わりました。このプロジェクトは福島県会津地方の北西部に位置する喜多方市、 西会津町三島町を中心として始まったアートプロジェクトで、アートを通してこの地に残る森林文化などを再認識する活動でした。プロジェクト3年目に、町内外の方々とともにこのゲストハウスをリノベーションすることとなりました。地域の土や植物を混ぜ込んだ壁、蓑を漉き込んだ襖、町の伝統工芸品である編み組細工の照明などを取り入れました。そして、2017年6月の町の一大イベントである工人まつりの日にオープンしました。

 

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ゲストハウス内装

 
 ゲストハウスを初めて3年となりますが、まだ3年しか経っていないのか、もっと長くやっているような気がしています。ゲストハウスだけでなく、週末のバー営業などもしてきましたが、町内の人口も少なくなって来ていたり、観光客ももっと呼び込む余地があると思っているので、手応えとしてはまだまだこれからですが、やってみてわかったことは色々あります。料理を作るのは好きですし面白いですが、一人では手が回りきらない部分もあります。またこのゲストハウスだけではなく、町や奥会津地域全体の課題なども見えてきたので、昨年度より農泊事業などを通して、町内でお店をやっている人や行政の人たちと一緒に地域づくりに取り組めるのはありがたいことです。人口規模が大きい町や市では行政と一緒に何かすることは難しいと思うので、このように一緒に仕事ができるのは楽しいです。

 

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山文化継承プロジェクト

 ここでお店経営している人たちと話していて思うのは、この地域に人の流れを作り、人を呼び込まないと、どのお店も続けていくのは難しいだろうということです。昨年は現状を把握し、うまく回らない原因などを解きほぐし、どうしていったらいいのか方向性を探り、今後の計画を立てる一年でした。こういった取り組みはすぐに成果が見えるわけではありません。前例がないことも多いため、既存の仕組みを持ってくるわけにはいかないため、自分たちで一つ一つ考え、一歩一歩作り上げていかなくてはなりません。その中で、今ぼんやりと考えていること、温めていることの一つが山文化継承プロジェクトです。

 今年の年明けに町内外から参加者を募り、「地域の仕事の作り方 奥会津編」という2泊3日の合宿イベントを三島町で実施しました。そこで様々な分野で活躍する地元の方々から話を聞く機会があり、このプロジェクトをやっていきたいという気持ちになりました。

 時代による山のあり方を見ていくと、現金収入獲得の手段として変遷していったことがわかります。かつて、林業や炭焼き、狩猟がお金になり、また毛皮が売れる時代がありました。しかし、時代とともに毛皮が売れなくなり、また林業から建設業に移ると(安い輸入材が入るようになったため)、山がお金にならなくなり、手入れされずに荒れるようになりました。それが昭和30~40年くらいだったのでしょうか。そして現在建設業もかつてのような大きな公共事業は減り、今はメンテナンスの時代に入ったと聞きます。そのような流れで見ると、これからの山は「観光の時代」だとおっしゃる方がいます。また、猟師の中には、「例えば今降っている雪がどんな雪か、そういう山の見方を伝えていきたい」とおっしゃる方もいます。そういった「山の見方」を伝えていくことが、これからは山で現金収入を獲得する1つの手段になっていくのかもしれません。

 

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合宿イベントの様子

 

 また個人的に、狩猟免許を取ろうとしていましたが、なかなか取得できずにいました。なぜかと考えてみると、獣を獲っても肉を食べることができず(放射能の関係で出荷制限がかかっているため)、そのためお金にもなりません。ではなぜ獲るのかというところで、もちろん農作物等の鳥獣被害対策というのはあると思いますが、自分の中で鉄砲を撃つことに対して気乗りしない部分、釈然としない部分があったのだと思います。そういうことを踏まえると、山を観光という視点で捉えてみると活路が開けるのではないかと思います。

  来年度、地元の猟師の方を先生とし、地元の若い世代の山関係者や山好きの人をサポートスタッフとして、2~3日くらいのツアーを企画し、一般参加者の方が山に入る経験ができるツアーができないか検討しています。この1年はトライアルですが、このツアーがビジネスとしてもきちんと成り立つような仕組みを作っていきたいと思っています。

 地元の猟師の方、山を知っている方々から、山の見方、歩き方を教えてもらい、山の活かし方を次の世代に引き継いでいくこと。今現役バリバリで山に入っている猟師さんも、その年齢を考えると、彼らから色々教えてもらえる時間も限られています。今いる方々がいなくなってしまうと、彼らの山の見方は失われてしまいます。そう考えると、この10年が勝負になってくると思うので、腰を据えてやっていきたいです。

 

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インタビューを終えて

 ソコカシコはアートの世界を歩んできた三澤さんはじめリノベーションされた方々のセンスあふれる空間でありながら、居心地よく、おいしいご飯と飲み物がいただける素敵なお店です(現在、週末営業は予約制なので、気軽にあそびに行けないのが残念ですが…)。また、こちらに来たばかりの頃に、友人たちに出会うきっかけとなった場所なので、私自身にとっては特別な場所でもあります。「山の見方」のお話は、ここでの暮らしについて同じように感じる部分もあるので、今後どのように形になっていくのか、興味深く、楽しみであるのと同時に応援していきたいなと思います。

 



雪を求めて

3月に入ってもちらちら雪が降り、山が白くなることはありますが、もうすっかり春だなぁをは感じる日々。雪が圧倒的に少なく、冬らしさを感じきれなかったため、春を迎える気持ちの準備がいまいち整わず…最後にもう少し雪あそびをしたいと、三坂山へ行ってきました。

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美坂高原

例年だと、この時期でも雪がどっさり残っているようですが、今回は山頂付近以外、かんじきをはかずに歩くことができました。

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ブナ林の中のキツネ?の足跡


木々の根元はまあるく雪が解け始め、植物が目覚め、活動を始めていることを伝えてくれます。クマと思われる大きな足跡もあり、動物たちも活動を始めているよう(今年は暖冬だったため、クマは冬眠しなかったんじゃないかという話も聞きますが)。

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ブナ林

 

陽当たりのいい斜面は雪もなく、山に春を告げるマンサクの花が咲いていたり、木々の新芽もすくすく育っていました。

雪を求めて山へ行ったけれど、太陽はぽかぽかと暖かく、山は春の気配でいっぱいで、やっぱりもう春なんだなぁを感じた一日でした。

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山頂からの眺め


山頂からは只見川沿いに三島町の各集落を見下ろすことができ、遠くには磐梯山もその雄姿を見せていました。

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今回、三坂山を美坂高原から滝原登山口まで歩きましたが、高原にブナ林や雑木林、そして開けた山頂と景色の変化に富み、とても気持ちのいい山だなぁと改めて思いました。

春の訪れ

昨日は20℃近くあったのでしょうか、春の訪れを強く感じた一日でした。

真冬の間は仕事を終えて帰る頃は真っ暗で、いそいそとうちに向かっていましたが、最近はずいぶん明るくなり、芽を出したり花芽をつけた植物やスズメやヒヨドリなどにぎやかに飛び回る鳥たちを見ながら、のんびりと帰るようになりました。なんとも伸びやかな気分です。

 

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福寿草

夜は夜で、身に染みるような寒さはなくなったので、星見もしやすくなってきました。冬の星座はずいぶん西側へ移動し、春の星たちが登場してきて、あぁ、もう冬は終わったんだなというのを感じます。

 

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只見川に映る月。本日が満月!

 

そして、ここの暮らしの難点の一つ、スギ花粉もいよいよ本格的に舞い始めたようです。神奈川にいても、むしろアスファルトに囲まれた神奈川の方がスギ花粉に苦しめられたのかもしれませんが、こうもスギ林に囲まれていると、気持ちから負けてしまいそうです。

 

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それもつかの間の辛抱と信じて、新しい季節、生きとし生けるものが目覚め、輝きだす春を楽しみたいと思います。

 

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空き家・空き店舗利活用ワークショップを開催しました!!

少し前の話ですが、先月29日に空き家・空き店舗利活用ワークショップを開催しました。

今回のワークショップは宮城県石巻市で空き家の活用や人材育成を行っている合同会社巻組さんをお招きして、参加者の皆さんと①町の魅力、②5年後こんな町になったらいいな、③お店を実現するアイディアについて、2グループに分かれて意見を出し合いました。

  

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町の魅力1

 

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町の魅力2

 

少子高齢、過疎、空き家、担い手・プレーヤー不足といったネガティブな言葉で町を形容しがちですが、この日はポジティブに、町の魅力や町に対する想いを共有し、5年後に夢を膨らませ、どうしたらそれが実現できるか話し合いました。

 

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5年後こんな町になったらいいな1

 

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5年後こんな町になったらいいな2

 

今回は空き家・空き店舗の利活用について具体的に考えるというよりは、どんな町になったらいいかといった点を共有する時間となりましたが、この会をきっかけに、少しずつアイディアが形になっていくように、空き家や空き店舗で何かやりたいという人の想いが実現できるように、今後もこのような会を定期的に開催していけたらいいなと思います。

 

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そして物件の掘り起こしや、物件とやりたい人のマッチング、やりたい人のやりたいを形にするサポートなど、私にできること一つ一つやっていきたいなと気持ち新たに思います。

雪あそび

よーやく降り積もった雪。雪国らしい景色が広がり、心弾みます。

 

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和かんじきを履いて、山の中へ行ってきました。

 

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昨年よりは少ないですが、それでも山の中は太ももくらいまで埋まる雪があり、大の大人でも十分ふかふかの雪にまみれてあそぶことができました。

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木によって全然違う冬芽探し、動物の足跡探しもまた一興。 

 

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雪は全てを覆いつくして、日常を美しい夢の世界へと変えてしまい、雪を見ることで、雪と戯れることで、私たちの心はどんどん澄み渡っていく。

雪ってやっぱりいいですね。

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待ってました❄

待ちに待った雪がようやく降り積もりました‼️

 

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一昨日から降り続け、昨日は雪化粧した木々に、山々にうっとりため息がとまらない一日でした。

 

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青空のなか太陽の光降り注ぐきらきらした日中の景色も、月明かりに木々が浮かび上がる幻想的な夜の景色も、心がきゅーんとなる美しさ。その美しさに脇見したり、足もと滑らせてしまいそうなくらい、昨日は久々に心はしゃぎました。

 

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地元の方たちがこんなに暖かくて雪がない年は、今まで生きてきて一度もないと口を揃えておっしゃるこの冬。昔を知らない私ですら、なんだかおかしいぞと感じずにはいられないこの冬。

考えだすと止まらなくなるテーマですが、この雪景色もどうか未来に引き継がれますようにと願いたくなります。

 

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昔と同じ生活はできないけれど、ここの人たちの暮らし、先人たちの知恵の中には、私たちがこれからを生きる鍵があるのかなとますます思う今日この頃。古くて新しい生き方を自分にできる範囲から少しずつ始めたいと気持ち新たです。

 

明日は冬の一大イベント、雪と火のまつり。どうかこの雪が明日までは持ちますように!

 

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移住者インタビューその11

小荒井勇人(こあらいはやと)さん(31歳)

福島市出身。福島大学、大学院の美術コースで学び、6年間高校で美術講師をしていましたが、木こりの親方と出会い、2018年4月に三島町にあるアイパワーフォレスト株式会社に就職。特殊伐採を得意とする会社で木こりの道を歩んでいます。ご本人のユーモアとセンスの良さが垣間見えるブログ『木こりの日常』は必見!(諸事情により更新が滞ってますが…とのこと)

 

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三島町へと移住したいきさつ

「唐突かつ単純に言えば、
私は美術教師の夢を諦め、木こりになることを決めた。
昨年の夏、20代最後の年に。」 (ご本人ブログより)

 「前の仕事から逃げたかったんだろう?」などと言われることもありますが(苦笑)…特段今までの生活に不満があったわけではありません。教えるのは好きだし、美術の専門性を活かしたかったので、講師から教師になりたいと思っていましたが、教員試験になかなか受からず…そんな29歳の夏に「すごい木こり」がいるという噂を聞き、今の職場の親方と出会い、大きく人生が展開しました。

 幼い頃、骨の病気で股関節が悪く、小学1年生から小学校3年生までまともに歩くことができませんでした。幸い病院の先生と小学校の担任の先生の尽力おかげで、普通学級の中で学ぶことができました。しかし骨がもろく変形しやすい時期が2年ほどあったため、装具や車椅子を使っての移動が必要で、極力動かないように注意されていました。

 そのことがきっかけで、座ってできる美術に興味を持つようになりました。また、病弱だったために、動くことへのあこがれが強くあり、動けるようになってから合気道を始めました。技術が高まると、体格に優れている相手に対しても対等かそれ以上に立ち回りできることに喜びを感じました。身体を鍛えたことで、足もだいぶ良くなりましたが、美術講師として働くうちに身体を動かすことが減り、再び調子が悪くなっていきました。

 このまま動けなくなるのでは?という漠然とした不安を感じるようになった頃、三島町と出会いました。親方はじめ60代はまだ若者、70~80代も現役、90歳過ぎても崖のような急斜面を上り下りする超人を目撃!衝撃を受けました。生涯現役で自然の中で力強く生きている三島の人々にすっかり魅せられ、色々な可能性を感じました。勤めていた高校は郡山市のビルの中にあったのですが、三島を肌で感じてからは「何で俺はこの箱の中にいるんだ?」と感じたものです。

 

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木こりの親方



 また、学校というのは公共の場であり、決まりごとが多い中で動かなくてはならなりません。一方、親方は自分で考え、ものごとを動かしており、その姿がかっこよく、親方のようになりたいと、木こりの道を歩むことに決めました。

 最初の出会いの後、会津自然エネルギー機構主催の「山学校」に毎月一回通い、翌春から親方のいるアイパワーフォレスト株式会社に就職することが決まりました。転職するタイミングで大学から7年以上付き合っていた女性と結婚したのですが、奥さん(会津出身)は仕事の関係で郡山に住んでいます。中間の会津若松市あたりに住むことも考えられましたが、通勤時間のロスがもったいなく、親方の近くにいて今の仕事に集中したいと思い、親方が紹介してくれた空き家に住むことにしました。

 

仕事について

 林業というと間伐、植林のイメージが強い気がしますが、会社は特殊伐採を得意とし、そういうイメージを包括するために、木こりという言葉を自分は使っています。

  • 特殊伐採とは:木が建築物、架線、道路沿いにあったり、クレーン車の侵入や倒木可能なスペースがない等倒木が不可能な場合に、木の上部から徐々に枝や幹を切り落とす技術(アイパワーフォレストHPより)
 そろそろ、丸2年が経とうとし、「新人です」とは言えなくなりますが、日々ご迷惑おかけしながら何とかやっています。美術講師時代は、時期によりますが朝早くから夜遅くまで室内で仕事をし、夜中に眠らなくてはいけないから眠るという生活をしていましたが、今は仕事から疲れて帰ってきて、強制的にシャットダウン、朝も自然と目が覚める(今は頭部が寒くて!)ようになり、身体が喜んでいるなと感じています。
 

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現場の一コマ
 最初の頃は山でよく転んだりしていましたが、親方のアドバイスで歩き方も変わり、実際足の骨の形は、レントゲン写真を見て病院の先生もびっくりするくらいきれいになりました(多少、誇張しているかもしれませんが…)。また、昨年はマックスの頃の体重から8キロも痩せました!
 ブログは仕事を覚えるための記録として、会社の宣伝として、そして息抜きとして書いていましたが、文章で林業のことを具体的に書くと、どうしても平面的になってしまい、受け手によってとらえ方も変わり、誤解も生みかねないというのがあり、また失敗談をあまり面白おかしく書いても「この会社大丈夫か!?」と思われかねないので、更新がだんだん遠のくようになってしまいました。それでも、記録は自分のために書き残しています。

 「木をチェーンソーで切るだけでしょ?近所のおじいさんも木を切っているよ」という身近なイメージもあり、基準になる作業単価も決まっておらず一般的に林業従事者は危険な作業に見合った賃金ではないことが多いようです。確かに木を平らなところで、方向を気にせず切るだけなら簡単かもしれません。しかし状況が少し変わると危険が伴う命がけの現場であり、実際死亡率の高い仕事です。だからと言って、変に怯える必要はありませんが、高い技術が必要で努力を積み重ねなくてはならない世界です。

 

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現場にて親方や先輩方に叱られる図


 親方の技は超然としており、背後に山の神さまか何かが憑いているんじゃないかと思うときがあります。知れば知るほど親方の技は遠く、何にも出来ない自分に歯がゆさはあります。その反面、私の歩みは遅く小さな進歩でありますが、それを感じて喜ぶことができる、毎年が同じように繰り返されていく気がしません。難しいゆえに面白いところだと感じています。

 親方はじめ会社が勉強会や研修会に力をいれるのは、次の若い世代に特殊な技術を伝えていき、学びの輪が広がって日本全体の山の整備に貢献したい使命感があるからです。また次世代の人々が誇りを持って林業で暮していけるよう環境改善を図りたいという想いも持っています。

 

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叱られたあとの飴


いつかの野望

 木を活かすという点において、木こりと木彫には通ずる部分があると思っています。木こり=木を切る=木を殺していると一見思われますが、切り方一つで森を再生させ、木を活かすこともできます。親方の木に対する愛情はきれいな切り口に表れています。

 木彫制作では木に第二の人生を送ってもらいたいという想いで作品作りをしていました。しかしほとんどの彫刻する人は、木材を製材屋さんから製材されたものを買います。製材される時点で木が生きてきた形は整理され、作品にすることでさらに木の生々しい持ち味は薄くなってしまう側面があります。また、個性のある変わった形の木を彫りたいと思っても、そういう木は基本的に市場に出回ることなく、扱いが難しく捨てられやすい命です。しかし自分もそうですが、そういう木こそ彫りたいという人もいるので、そういう木をうまくまわせたらなと思っています。

 いつかそういう循環が生まれたらと密かに野望を抱いていますが、まずは木こりとして自分のことをしっかりしなくてはですね。今は色々中途半端でとっ散らかっていますが、この道を選んだことは正しかった、合っていると感じています。将来的に、すべてがつながっていくのではないかと感じています。

 

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暮らしの一コマ

 インタビューを終えて

 ブログの印象通りとてもユーモアがあり、元先生ということもあり、お話もとても上手で、いつまでもお話を伺っていたいと感じる楽しい時間でした。ここにもまた導かれるようにして三島にやってきた人が一人。美術、木彫、木こり、その他様々な経験が一途でまじめな小荒井さんの中で熟成され、本当にいつかきっと、いつかの野望を実現するのではないかと私までわくわくしました。今後のご活躍も応援しています。