奥会津三島町での日々

噛めば噛むほど美味しいスルメのような魅力を持つ奥会津三島町の暮らしや協力隊活動の様子を書いてゆきます。

移住者インタビューその8

倉根 裕之さん(51歳)

埼玉県出身。平成6年10月に三島町に移住され、もうすぐ26年目を迎えます。桐たんすに魅せられ、会津タンス株式会社で職人としてお仕事されています。

 

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三島町へと移住したいきさつ

 2つの出会いがあって、三島町へとやってきました。

 もともと家具が好きだったこともあり、当時デパートの家具販売員の仕事に就きました。その売り場には、新潟県で作られた桐たんすが置いてあったのですが、その立派な桐たんすにすっかり魅了されてしまいました。今までカントリー調の黒っぽい茶色の家具が好きでしたが、照明に当たって黄金色に輝くその真新しいたんすは、自分が知っている家具とは全くの別もののように目に移り、その美しさに目を奪われました。今まで桐たんすにも、また作るということにもまるで興味がありませんでしたが、突如自分も桐たんすを作りたいという想いが湧いてきました。それが一つ目の出会いです。

 その売り場に新潟県の桐たんす屋さんから販売員として来ていたおじいさんが、転職して職人の世界に入ることもできるという話をしてくださいました。職人の世界というのは中高生の頃から弟子入りしなくてはならないと漠然と思っていたのですが、全くの未経験者である自分にも可能性があるとわかりました。

 

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桐は気密性が高いので、一つの段を閉じると別の段が出てくる

 

 そこで、物産展などで出入りしていた会津若松市の桐たんす屋さんを同僚に紹介してもらい、現地見学に行きました。その時、駅まで送ってくれた従業員の方が、自分と同じような形で転職して職人の道へ入った方だったのですが、「何も基礎がない状態で入ると、配達や販売などの業務ばかりになる可能性があるから、多少の基礎を身につけてから来た方がいい」とアドバイスをくださいました。他にも新潟県静岡県などを見学しましたが、会津がいいと思い、平成6年4月に引越しをし、まずは会津若松市にあるポリテクセンター(職業訓練校)で木工を習うことにしました。

 

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桐材のねじれを熱で直す機械

 そこで、2つ目の出会いが待っていました。

 今の職場に内定が決まっていた三島町出身の同僚も、同じタイミングでポリテクセンターに通っており、彼との出会いが三島町へとつながりました。通っていた人のほとんどが自分たちよりずっと年配で、多少年齢の近かった彼と話すようになりました。当初は「三島から来た」と聞いても、静岡県三島市と思っていたくらい三島と聞いてもピンと来ず、桐と結びつきませんでした。

 ここで、機械の扱い方や、かんな、ノコギリ、みのの使い方などを一通り習いましたが、とてもいい先生がいて、授業が終わっても二人で残り色々と教わりました。6か月のコースが終了し、いざ就職先をどうするかと考える段階になり、その先生が勧めてくださったこともあり、同僚の就職先である会津桐タンスへと見学に行きました。

 会津若松市からどんどん山深いところへと連れていかれ、大丈夫かと思いましたが、この日はお天気に恵まれた素晴らしい日で、三島町はとてもいい印象でした。会社の人も「来たいなら来たらいいよ」という雰囲気だったので、「では」という感じで来てしまいました。

 

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材をボンドでつけ板にする

桐たんすについて

 桐製品ができるまでには、材をそろえ、下ごしらえをする段階と、組み立て仕上げをする段階があります。下ごしらえを若手が、仕上げをベテランがやります。

 就職した当初は桐たんすの需要もあり、職人さんも多くいましたが、時代とともにたんすが売れなくなり、職人さんはどんどん減っていきました。下が入ってこなかったので、私は下ごしらえの時期が長く、なかなか仕上げに上がれませんでした。この6~7年は長く挫折しそうになりましたが、ようやく仕上げができるようになったときは本当にうれしかったです。最初は文具箱を作りました。

 今は色々な製品を作りますが、自分がたんすを作るという夢は、状況から考えると現実味がなくなり、それはさみしく切ない部分でもあります。それでも、このように桐のものづくりに関われるのは幸せなことです。一目惚れした桐ですが、今も桐でできたものに一番惹かれます。軽さと、ふんわりとした温かさ、手触りは扱っていても魅力的です。

 

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現在作成中の収納ケース

暮らしについて

 空き家を借りて住んでいます。いわゆる居ぬき物件で、トイレなどの改修も全くせず、そのままの状態で住んでいます。ものがそのまま残っていても、配置を換え、少しずつ自分の住みやすい空間に整えていく、その過程が楽しいです。これで完璧だと思う頃になると、所有者の方の都合などで引越しをしなくてはならず、残念でした。その度ごとに、色んな方に手伝ってもらいながら数回町内で引越しをしました。数カ月ほど町営の集合住宅に住んだこともありましたが、整然としすぎているというか、配置が決まっていて面白くないというか、どうも落ち着かず、自分には合いませんでした。

 ようやく現在の家に落ち着くことができ、住み始めて10年ほどになります。只見川を眺めることができ、隣近所に家もなく音を気にする必要がないので、趣味の笛を心ゆくまで吹くことができます。今までで一番いい環境かもしれません。しかし、その分獣や虫もいっぱいいます。蛇が出入りする穴は最近ふさぎましたが、古い家なので色々なものが隙間から出入りしています。

 不便なこと、大変なことに抵抗せず、自分を変えていく、自分を環境に合わせていくことが大事なのではないかと思っています。長く住んでいると新鮮さがなくなり、大変さばかりが目に付くようにもなりますが、いいところの裏を返すと大変なことで、裏表の関係ですよね。木がたくさんあり、自然が豊かだということも裏を返せば、虫がいるということ。雪もしかり。当初はここの雪に感動し、きれいだなと思っていましたが、いつしか除雪などの大変さばかりを思ってしまう自分がいます。それでも、やっぱり、雪は美しいですね。

 三島に来て25年が経ち、そろそろ埼玉での時間を逆転し、こちらでの生活の方が長くなっていきます。こんなに長くここにいられるのはこの会社があり、ものづくりに専念できる環境があるからであり、ありがたいなと思っています。

 

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インタビューを終えて

 桐たんすとの出会い、三島町へ至るまでの経緯、お話を聞いていると、ぐんぐん引き込まれ、私もすっかり桐たんすが好きな気持ちになってしまいました。

 最初はすべてが目新しく、新鮮で感動するけれど、少しずついい面だけじゃないことも見えてくる。これは移住に限らず何にも当てはまることですが、そういうときにどうするのか・・・自分を変えていく、合わせていくしかないと頭ではわかっていても難しいものですが、倉根さんの経験に裏付けされたお話は心に響きました。この大らかさ、柔軟さゆえに、ご本人も感慨深く驚くほど長く移住地で暮す秘訣のだなと感じました。