奥会津三島町での日々

噛めば噛むほど美味しいスルメのような魅力を持つ奥会津三島町の暮らしや協力隊活動の様子を書いてゆきます。

暮らしのこと

すっかり暮らしの様子について掲載するのが止まっていました。

6月に町内に空き家を借り、住まいを整えつつ、畑に種を蒔き、苗を植え、夏の間夢中になって畑作業をし、気が付けばもう11月。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20201102164035j:plain

初夏 田植えの頃のうちからの眺め

 

5カ月があっという間に、本当に吹っ飛ぶように経った気がします。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20201102164556j:plain

真夏 朝陽の中の田んぼ

 

住環境に求めるものは、人それぞれ、色々あるのでしょうが、私にとって毎日目にするものが自分にとって美しいと感じるものであってほしい、美しい景色の中にいたいという思いが、いつからか一つの基準としてありました。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20201102164221j:plain

収穫間際 朝靄かかる山と田んぼ(今年は稲がみんな重たそうに倒れていました)

 

今こうして振り返ってみると、改めてこんなに素晴らしい景色の中に暮らしていることがありがたく幸せだなぁと思います。

だんだんと畑の時期も終わりに近づいてきて、身体も心も少しスローダウン。これから少しずつ、空き家に住むことや畑のことなど書いていけたらなと思います。

 

 

移住者インタビューその15

徐 銓軼(じょ せんい)さん(36歳)

中国上海市生まれ、上海市育ち。日本の大学を卒業後、上海の福島県上海事務所に勤務していましたが、その後念願叶い再度日本へ。福島県国際交流員を5年勤め、2018年からは奥会津振興センターの地域おこし協力隊となる。情報発信や六次化商品の開発、移住定住・二地域居住の促進など多岐にわたる業務を担当しています。また、2020年3月より町内に空き家を借り住み始めました。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20201026092756j:plain

 

これまでを振り返って

 日本での計15年を振り返ってみると、一つのストーリーとして一貫性があるなと感じています。大都市(大阪市)から地方都市(福島市)そして奥会津三島町)へ。北へ北へ、また人口が少ない方へ少ない方へとだんだんとフォーカスが定まってきました。

 もともと家系的に日本とつながりがあったことから、日本の文化に興味があり、関西の大学に留学しました。留学生活を通して、技術等大きく進歩している部分もありますが、生活リズムや人の温かさなどいい意味で日本は変わらない、日本の生活は自分には向いているなと感じました。大学では、高齢者福祉を学んでいましたが、当時は現地で学ぶ機会はほとんどなく、また日本での就職は叶わず、一度は上海へ戻りましたが、こうして三島町に住むようになり、高齢化や過疎化を目の当たりにし、10年以上遅れで、大学で学んだことを勉強しなおしている気がしています。そして、日本の大学生活は無駄ではなかった、全てはつながっているんだと感じています。

 出会いなどは自分の意思では左右できない部分もあり、「たまたま」と言ってしまえばそれまでですが、その「たまたま」がここでは高確率で起きているように感じています。そして「たまたま」の積み重ねが自分をここまで導いてくれのだと思っています。

 

三島町での暮らしについて

 奥会津(主に柳津町三島町、金山町、昭和村、只見町の5町村)、さらには三島町とつながっていたいと思い、今年の3月より町内の空き家を借りることにしました。築80年ほどの古民家です。「三島町でどこが一番好きか?」と聞かれたら、「自宅!」と答えるくらい気に入っています。これまでは団地に住んでいたので、近所の方との関わりもほとんどありませんでしたが、ここを借りたことで、地域のみなさんとの交流が生まれ、それが何よりよかったことです。DIYでブランコやイスを作ったり、囲炉裏でバーベキューをしたり、裏で畑をしたりと、この夏は色々楽しみました。また、自分が草刈り機を使うなんて、想像もしていませんでしたが、暮らしに必要なことも学んでいます。生涯のプロジェクトととして、この家を整えていきたいと考えています。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20201026093830j:plain

室内に取り付けられたお手製ブランコ


 協力隊としての業務には、移住定住促進も含まれていますが、自分の暮らし、ありのままの日常生活を様々な媒体でお見せしています。もし自分が奥会津でうまく暮らしていけるのなら、他の誰でもうまく暮らしていけるのではないかと考えています。そのためには、「自分でもここで楽しく暮せるよ」と身をもって証明するのが一番。テレビ番組含めメディア出演も好機ととらえ、快く引き受けています。自分が一つのツールとなって、三島町や奥会津、福島の魅力が伝わればと思います。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20201026094312j:plain

「火を見つめる」ということがしたくて、囲炉裏に火を入れてみたとのこと。

 

 もう一つ、三島町に来てよかったと思っていることが、台湾とのつながりを持てたことです。ここには只見線や雪景色を見に多くの台湾人が訪れます。町内で道に迷っている人に声をかけたことで交流が生まれ、その後も関係が続いている人もおり、訪れたことのなかった台湾に、昨年は公私併せて7回も行きました。台湾と奥会津は180度違う暮らしですが、関わるうちに共通点が見えてくるようになりました。台湾の人々は只見線が一つのきっかけでこちらに来ますが、なぜ彼らが奥会津に惹かれるのかその理由も少しずつわかってきた気がします。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20201026093729j:plain

裏の畑では夏野菜やスイカを育てたそうです。

 

 三島町は暮らしやすい場所です。面積は小さく、人口も少ないですが、地区ごとの特徴もあり、自分にとっては人との距離感もちょうどいいです。小さな子どもが二人おり、緊急時に病院へ行くことなども、ここだと対応できるなと考えています(総合病院まで車で35分ほど)。

 いい思い出をたくさんいただける三島町。そして、どこかほっとけないと感じさせる町でもある三島町。これから、ますます町のために貢献していきたいと思っています。そして、ぜひ多くの方に四季折々の美しさを存分に楽しみ、日本で最も美しい町の生活を体験していただけるといいです。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20201026094540j:plain

ご自宅の古民家

徐さんに関する記事

 徐さん関する記事はインターネット上で色々ご覧いただけます。以下いくつかご紹介します。

エフステ!ふくしま移住応援ウェブマガジン 

時事ドットコム 

読売新聞オンライン 

人民網日本語版

 

インタビューを終えて

 インタビュー中、「感謝」という言葉をよく口にしていたのが印象的でしたが、与えられた機会にどう対応するかは人ぞれぞれ。徐さんの何事に対しても素直に前向きに向き合う姿勢が、徐さんの人生をより豊かで面白く、楽しいものへ導いてくださったんだろうなということを強く感じました。福島、奥会津、三島への愛にあふれ、自分がここにいる理由について意識的で、できることをやっていきたいと全力で取り組んでいる徐さんを、これからも心から応援したいと思っています。

 

移住者インタビューその14

小栗文夫さん(64歳)
福岡県出身。2007年から三島町へと通い始め、退職を機に2014年、千葉県市川市から三島町へ移住。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200729104003j:plain



三島町へと移住したいきさつ

 いつかは田舎で暮したいとずっと思っていましたが、2011年の震災がきっかけでますますその想いが強くなりました。元々は福岡県の出身ですが、中学生の頃から関東圏で暮しており、移住前は千葉県市川市に住んでいました。市川市は首都圏内でありながら緑も多く住みやすい町でしたが、様々なタイミングが重なり、「これは今しかない」と、三島町への移住を決めました。

 三島町との最初の出会いは、2007年。「自然と共に生きる暮らし・技・心に学び、21 世紀の都市農村交流と新しい生き方を創る」をテーマに開催された「奥会津案内人」という講座でした。これまで奥会津に行ったことはなく、土地勘もありませんでしたが、コーディネーターの先生が面白く興味を持ったのと、「田舎暮らし」へのきっかけにもなればとも思い、参加しました。

 最初に案内されたのが三島町大谷地区にある地域の方のお宅でした。「ここには、町の水道水と山の水、2つの水源があるんだよ」といったお話を聞きながら、山の水で入れていただいたお茶を味わったのが記憶に残っています。また、以前から山の手入れに関する講習を受けていたのですが、「山の木、伐りたいなら伐っていいよ」と地域の方に杉の木を切らせていただいたのも、よく覚えています。次年度もこの講座に参加し、また個人的にも山の木を切らせてもらうなど、年に数回は三島町に通いました。
 

f:id:okuaizumishimamachi:20200729103551j:plain

大谷地

 東京から東武鉄道を乗り継ぎながら鬼怒川から来ると、がらっと景色がかわります。冬はトンネルを抜けると突然の雪景色。冬は特に美しいなと思いました。群馬とは山一つ隔てただけですが、奥会津は風景、雰囲気、人柄が全然違い、何となく人も自然もいいなと思うようになりました。また、若い人たちのなかにも自然の中で暮したいと思う人がいることや、仲間で集り自分たちの得意なことをやろうとする動きがあったのも、すごくいいなと思ったものです。

 2011年の震災で、都会での暮らしは何事もなければ便利で暮しやすいですが、何かあると脆いということを痛感しました。震災後、足繁く通った奥会津はどうなっているのだろうと気になり、訪ねてみたところ、「ここは地盤が安定しているから」と言って、みなさん普通にお暮しだったのに意外な思いがしたと同時に、三島町への移住を真剣に考えるようになりました。そこで、これまでもお世話になっていた地域の方にご相談し、空き家を紹介していただきました。親や親戚、友人がいるわけでもない自分がぽっと来て家を探すことはなかなかできません。暖かく面倒見のいい地域の方が間に入ってくださったおかげで、ありがたかったです。

 移住した最初の年は、除雪作業に従事しました。冬にこんなに忙しい仕事があるのか、周りのみなさんも雪が降ると一層生き生きしているように映り、新鮮に感じたものです。雪に対しては、都会より強いのだなということを知りました。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200729105026j:plain



自然エネルギーや暮らしについて

 父親が電力会社で働いていたこともあって、幼い頃からダム見学をしたり、また一時期は九州の炭鉱町に住んでいたこともあり、電力やエネルギーといったテーマが身近で、ずっと関心がありました。

 三島町へ通っている頃に、NPO法人会津みしま自然エネルギー研究会が発足し、移住してからは私も関わるようになりました。当時は町内にある河川で水力発電ができないかということで予備調査をしていました。結局実現はしませんでしたが、その後は地域の人や子どもたちに地熱や水力発電など地域資源を生かした自然エネルギーについて興味を持ってもらいたいと、発電所の施設見学やロケットストーブ作り体験会を開催するなど啓発活動を行っています。f:id:okuaizumishimamachi:20200729103745j:plain

 石油を輸入するようになり、今は便利な生活になりましたが、昔は山の木があらゆるエネルギー源、生活資源でした。そういう生活の知恵などが失われつつあるのはもったいないな、今でも合理的だと思えるものは使っていきたいし、残していきたいなと個人的には思っています。山の木を切って燃料にする、薪ストーブのある暮らしは、人として真っ当な気がしており、いつかそういう暮らしがしたいと憧れていました。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200729103857j:plain

 

 昨年、その念願が叶い、薪ストーブを自宅に入れました。初めて使用してみて、ひと冬分の薪を確保するのは予想以上に大変だなということを実感しましたが、薪ストーブはあるだけでいいです。火を見ながら、薪を足したり、空気の調節をしたり、料理をしたり、ずっと近くにいて見ていられます。手間がかかるのは事実ですが、そのひと手間ふた手間を苦労と思わず、面白いな、楽しいなと思えるのであれば、ぜひやってみたらとお勧めしたいです。


福島県と当町には薪ストーブ設置補助金があり、町は上限15万円の補助が出ます。

 

インタビューを終えて

 今回お話を伺いいながら、自然に沿ったシンプルな小栗さんのお考えにとてもいい刺激をいただきました。面倒や手間を省いた便利な生活からは、大切な何かが抜け落ちていくように感じながらも、日々の生活に流されつつあったので、自分が大切にしたいと思うこと、どんな暮らしがしたいのか等、今一度考えるきっかけをいただいたように思います。薪ストーブについては色々な意見がありますが、私自身もいつかストーブのある暮らしをしたいと思っているので、夢ふくらむ時間となりました。まず手始めに、近々ロケットストーブを作ってみたいと思います。

 

移住者インタビューその13

鈴木敦(つとむ)さん(40歳)

会津坂下町出身。会津タンス株式会社に勤めるのをきっかけに、三島町と関わりを持ち、5年前から町内に住んでいます。現在は、木工作品を制作・販売するかたわら、町のものづくり拠点である生活工芸館にて、編み組材料業務 (栽培・採取)のお仕事をされています。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200402153815j:plain

 

三島町へと移住したいきさつ

 いつも、かっこいいと思うこと、楽しいことや好きなことを追求してきました。

 ものづくりに目覚めたのは親戚宅のリフォームを手伝い、大工として働くようになってからです。小中学校の頃は、図工や技術は大嫌いでした。自分が思うように作れずイライラするし、うまく作れる気がしませんでした。また、学校では授業でやらされている感が否めませんでしたが、仕事となると、そう言ってもいられず、やらなくてはいけません。そして、本気でやってみると面白いということに気づきました。自分で言うのもなんですが、「家を作れるなんてすごい」「かっこいい」と素直に思います。ここでの経験が、ものを作る=何かを生み出すというのは楽しいことなのだと知った最初のきっかけでした。5年ほど勤めたのち、諸事情により退社。その後は古着屋を経営したりしましたが、お店の看板や内装を自分でするなど、この頃にはすっかりものづくりにはまり、木工をやっていきたいという気持ちが強まっていました。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200402154525j:plain

 

 あるとき、道の駅みしま宿2階にある桐タンス展示スペースにふらっと立ち寄ったのが、三島町との出会いでした。展示されている桐タンスを見て、自分でも作れたらと思ったのですが、ちょうどそのとき、桐タンス株式会社で求人募集があったので、即応募しました。晴れて採用が決まり、ここで木工の細かい仕事を色々と学びました。

 その後、絵の額縁作りを専門に独立しました。生活工芸館で木を加工し、工人の館(現在は工芸館とともに町のものづくり拠点)を工房として借り、組み立て作業などをしていました。本格的な機械を誰でも自由に使える生活工芸館は、木工をする人間にとっては素晴らしい場所です。工芸館がなかったら、三島町には来ていなかったと思います。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200402153943j:plain



 ただ、会津坂下町より三島町まで通うのは大変でした。作業は皆が寝静まった深夜がはかどるので、どうしても夜型になります。しかし、ここは雪国。夜中の2時近くまで作業していると、雪がどっさり積もり帰宅するのが容易ではないことも度々ありました。そんな生活を数年は続けていたのですが、町にちょうど世帯向けの住宅ができたこともあり、奥さんを何とか説得し、三島町へ移り住みました。ちょうど長女が小学校に上がるタイミングでした。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200402154150j:plain

 

お仕事について

 絵描きさんの額縁作りは、大工の頃から端材を使ってやっていました。絵を描く友人知人が周りにいて、頼られることが多く、自分は絵は描けないけれど、額縁くらいなら作れるかなと思い、始めました。オーダーはアマからプロまで、全てお任せすると言う人から細かい注文まで様々ですが、ニーズに応えながら作っています。適当にやっても材は合わさりますが、丁寧にいいもの作らないと面白くありません。すごく気合いを入れて作り、ビタッと合わさるときは最高に楽しいです。

 また、三島町に住むタイミングで声をかけていただき、工芸館の木工指導員になりました。工芸館に勤めたことで、多くの方と出会い、知り合う機会に恵まれました。町内外、老若男女を問わず、そして素人からプロまで毎日色んな方があそびに来ていました。そういった方たちのサポートをしながら一緒にものづくりできるのは、何ほど面白いことでしょう。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200402154404j:plain

 

 そして、木工指導員と並行して町の特産である編み組の材料集めにも関わるようになりました。町の工人さん(ものづくりする人たちのこと)たちはだんだんと高齢になり、山へ材料を取りに行けなくなりつつあるので、代わりに取りに行きます。とりたてて山に興味があったわけではありませんが、これも始めて見ると面白く、山に目覚めてしまいました。大自然の中で、色んな野生動物と隣り合わせで作業するのは、怖いこともありますが楽しいです。

 本業=木工作品作り、副業=山での材料取りと、今好きなこと、楽しいことしかしていません。つまらない仕事、嫌々ながらする仕事はしたくありません。もちろん仕事をする上での責任、そして子どももいるので親としての責任はあります。しかし、楽しい人生とのバランスは大切です。奥さんの協力もあり、今の暮らしに不満はありません。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200402154239j:plain

 

これからのこと

 三島町への移住については、当時多くの波紋を呼び、反対にも合いましたが、この春で丸5年が経過したことになります。色んな方に覚えていただき、お世話になり、三島に来て本当によかったと思っています。自分は「人が優しい」「温かい」といったことを言うのがあまり好きではありませんが、工人さんたち含め三島の人に何ほどよくしていただいたか計り知れません。

 また、ここは「変わり者」が集まる町だと思っています。仕事を辞めて、生活が不安定なものづくりで食べていくなんて、なかなかできることではありません。みんな三島が好きで、面白い人たちで、一緒にいるのが楽しいです。

 これからもここに暮らし続けたいと思っている人間にとって、未来に対する不安は確かにあります。人口減少は止まらず、子どもの生育環境としてどうなのだろうかという思いも正直あります。幸い3人の子どもは素直に伸び伸び育っていますが、もうすぐ6年生になる長女の同級生は3人なので、良くも悪くも少人数制。将来大勢の中でやっていけるのかなど考えることもあります。

 この町に根を張って暮らしたいと思うからには、町がよりよくなってほしいですし、よりよい町にしていきたいとも思っています。地元の方々と、三島町が好きで来た移住者とが今後ますますつながれば、三島町の未来も広がっていくんじゃないかと思っています。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200402154322j:plain

 

インタビューを終えて

 好きなことにまっすぐで熱く、色々とご苦労などもあった/あるのかもしれませんが、そんなことを全く感じさせない圧倒的なパワーが鈴木さんにはあり、お話を聞いていると、こちらまで明るい気持ちになります。私自身鈴木さんが作成したカッティングボードを使わせていただいていますが、使い勝手がちょうどよく、洗練されたデザインでキッチンに置いてあると気持ちも上がります。身近にものづくりする人がいて、その方たちが作ったものを使えるのは幸せなことだなぁと改めて思います。

春色

雪が降って寒い日もあれば、ぽかぽかと暖かい日もありますが、町内では野の花も庭の花もどんどん咲きだし、外の世界が一気ににぎやかになってきました。

誰かが植えて手入れをしているからなのか、それとも勝手にどんどん増えていくのか、会津地域はこの時期、いたるところで水仙の花が咲き誇っています。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200408101930j:plain

水仙木蓮(こぶしかしら…?)

 

アサツキも、畑や土手などありとあらゆる場所で育ち、私たちの食卓を彩ってくれます。

f:id:okuaizumishimamachi:20200408102118j:plain

アサツキ

 

フキノトウの薄黄緑色からはじまり、そのうち雑草として抜かれてしまうであろう色とりどりの草や花々が、日々目を楽しませてくれます。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200408101330j:plain

 

町中でも桜がちらほら咲き出し、満開が待ち遠しいところ。三島町でもいよいよ春も本格的になってきました。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200408112928j:plain

 

アクアマリンいなわしろカワセミ水族館

先日機会があって、猪苗代町にあるアクアマリンいなわしろカワセミ水族館へ行ってきました。この水族館では、カワウソ親子をはじめ大中小、そして極小の様々な水辺の生き物に会える、それはそれは丁寧に展示された水族館です。

ここに、町内業者でる佐久間建設工業森林事業部さんが床の工事した木育コーナー『森のこばこ』があります。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200325151811j:plain

 

床一面フローリングで、入った瞬間にわぁと広がりと明るさを感じる空間です。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200325153112j:plain

 

 

その中に、木のおもちゃが色々と置いてあります。下の写真二つは、佐久間建設森林事業部さんが提供しているとのことです。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200325153940j:plain

会津桐の端材で作られたドミノ

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200325153146j:plain

色々な木の違いを感じることのできるプレート



このイラストは水族館スタッフの方の手描きとのこと。他にもスタッフの方お手製のおもちゃも多くあり、みなさんの暖かい想いと細かい作業は感動的です。

 

f:id:okuaizumishimamachi:20200325154501j:plain

 

例年より少ないと聞きましたが、この日も多くの子どもたちの声がにぎやかに響いていて、とても楽しそうでした。広々とした空間で、木のぬくもりが心地よく、大人ものんびりできそうです。

そして、水族館も好奇心を刺激する内容盛りだくさんで、一日いても飽きることのない楽しい空間でした。

 

【関連記事】
アクアマリンいなわしろカワセミ水族館:常設展示「森のこばこ」オープン

森のしごと舎:県内水族館、フロア-木質化工事

森のしごと舎:その後の様子

きのこの菌打ち

先日、なめことしいたけの菌打ち(こっちの人は、「きんぶち」と言います。原木の丸太にきのこの菌を植え付ける作業)を手伝わせていただきました。

昔、実家でも父親が原木しいたけを栽培していた記憶があったのですが、当時はきのこが好きではなかたので、全く見向きもしませんでしたが、原木きのこと聞いてわくわく参加。

まずは、原木にドリルで穴を開けます。しいたけにはコナラ、なめこにはサクラの木を使います。

f:id:okuaizumishimamachi:20200324100422j:plain

ドリルで穴開け

 

菌のついた小指の先ほどの小枝をトンカチで原木の穴に打ち付けていきます。菌はほのかにそれぞれのきのこの香りがしていまました。

f:id:okuaizumishimamachi:20200324100357j:plain

きのこの菌

 

菌の付いたしいたけの原木はスギ林の中へ。なめこは霧が立つような湿っぽい場所が好きとのことで、沢沿いの山の中へ置いてきました。

ここらへんでは、昔はきのこ栽培は各家庭でやっていたようで、菌打ちは子どものお手伝いやお小遣い稼ぎだったようです。

f:id:okuaizumishimamachi:20200324102234j:plain

打ち終わった原木

 

収穫までに1年から1年半ほどかかるようですが、今から収穫が待ち遠しいです。

自分で食べ物を作ること。ここにはそういう暮らしがまだまだあり、このように体験させていたでけることがありがたい限りです。色々学べるうちに吸収しておきたいなと改めて思う時間でした。