奥会津三島町での日々

噛めば噛むほど美味しいスルメのような魅力を持つ奥会津三島町の暮らしや協力隊活動の様子を書いてゆきます。

昔語りのこと

三島町含む奥会津会津地域には昔語りの文化が残っています。

会津の出身ではない私はもともと会津の言葉に馴染みがあるわけではなく、また幼い頃に親や祖父母から昔語りを聞いたこともないのですが、初めて聞いたとき、その言葉や語り口、話はとても懐かしく、心身に優しく染み込み、大切なものを手渡されたような気持になったのを今でもよく覚えています。

そして、話を聞きながら大の大人がけらけら笑ったり、手ぶって(「たたいて」の会津の言葉)喜んだり、そして時にしんみりと涙を流したり、その空間の一体感、暖かさが何とも心地よかったです。

 

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伝説の残る山

 

昔語りには、その土地独自の文化や歴史がその根底にあり、先人たちのものの見方、暮らしの知恵や教えなど大切なことが多分に含まれています。そして親(や年長者)が子(や年少者、周りの人々)を想う愛情、その健やかな成長や幸せを願う祈りが込められています。

 

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只見川もお話によく出てきます

 

語りの世界は本物の世界。楽しくて暖かくて深くて、時に怖くて悲しくて。語りの世界ってすごい!と、とっぷりこの世界にはまっています。

 

 

マコモダケ

マコモダケも収穫シーズンを迎えました。

マコモダケとはマコモ(真菰)というイネ科の植物の根元の部分にできる実のことで、お米と同じ時期に田んぼに植えて、同じ時期に収穫します。

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この子たちは小さいですが、大きいものは男性を優に超えるほど大きくなり、収穫はジャングルの中をかき分けていくように


昨年、初めてマコモダケの存在を知りましたが、その美味しさに一気に惚れ込んでしまいました。ほのかな甘み、シャキシャキとした歯ごたえ。タケノコのようですが、あく抜きなどの必要もなく食べやすさ満点。シンプルに油炒めにするだけで、絶品のおかずになります。

 

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ちらと調べてみると、マコモ縄文時代からの植物で、排毒作用も栄養も満点の素晴らしい食べ物だそうです。葉を乾燥させてできるマコモ茶も身体にいいそうです。

 

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タツノオトシゴのようなかわいい実

 収穫時期はこの1カ月ほどととても短いですが、稲より育てる手間もかからず、美味しくて身体にもよく、可能性をたくさん秘めている植物だなと熱い想いを寄せています。

収穫三昧

町のあちこちで、稲刈りはじめ収穫作業が行われています。先日は私も少しばかりお手伝いさせていただきました。

まずは、そばの刈り取り。一面真っ白で美しいお花畑だった畑には、黒いそばの実がたくさん実っていました。

 

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みやした蕎麦と豆腐の会の皆さまと、老若男女問わずわいわい言いながらの作業は楽しかったです。

 

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この状態で2週間ほど乾燥させ、脱穀します。

このお蕎麦は毎月2回、三島町の観光協会 召し上がることができます。挽きたて打ちたて茹でたての絶品です。

 

続いてエゴマの刈り取り。

 

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エゴマは何となく地味なイメージがあり、今まであまり興味を持って見たことがありませんでしたが、透き通るような淡い黄色や赤に染また茎や葉っぱはなんとも美しく、またシソ科ということもあり、触るたびにさわやかないい香りが漂い、癒し効果満点。

 

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この黒い小さな小さな種から油を採ったり、『じゅうねん』というすりごまにしてお餅などにつけて食べます。

 

慣れない畑作業の翌日は身体がバキバキのボキボキ。90歳にもなるおばあちゃんたちが「もう年で腰痛え、肩痛え」なんて言っていましたが、私の場合は普段あまり身体を使わず、適切な身体の使い方を知らないからなのだなぁとつくづく思い知らせれました。

田畑で身軽に動けるよう、身体を鍛えたいものです。

 

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工人の館内覧会

三島町では、暮らしの中で使うかごやざるなどの道具を自分たちで作る文化が残っており、町を挙げてその伝承に取り組んでいます。

その一環として、工人の館がリニューアルされ、昨日はその内覧会に行ってきました。

 

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工人とは「こうじん」と読み、手作りによるものづくりをする方々のことを指します。三島町にはたくさんの工人さんがいますが、この施設はそういった工人さんたちが車座になって、ものづくりができる空間です。

 

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町民の方は無料で施設を利用でき、また一般の方も実際にものづくりしている様子をご覧いただけます。

特に冬場は家に籠りがちになるので、囲炉裏を囲みながら、みなでおしゃべりしながらものづくりできるようになっています。

 

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町で実施している生活工芸アカデミー制度の受講生(詳しくはこちらをご覧ください)もこちらでものづくりを学んでいます。

 

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冬になったら、私もまたものづくり教室に通おうと楽しみにしています。

神奈川と会津と

先週、久々に実家に行ってきました。

向こうはまだまだ暑く、そろそろこたつを準備しなくてはと思いながらこちらを出た私は、まだエアコンを使っている実家に驚きました。道行く人々の中には、半そで短パンやノースリーブという真夏のような恰好の人も。「会津仕様の服装で降り立った初日は、暑くて仕方ありませんでした。

 

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稲刈りの時期を迎えた会津の朝はひんやり


 

私は神奈川県の郊外に生まれ育ちましたが、ある頃からここは私の住む場所ではないと思うようになり、ここではない場所に暮しくらしたい、田舎暮らしがしたいと思うようになりました。

こちらに来て一年半。少しずつ「神奈川」とも距離ができ、冷静に見られるようになったというか、ここはここでよい場所だなと思うことが増えてきました。

「神奈川」にしかないものがあり、それが私には必要である。「神奈川」のよさを享受できる今の距離感、環境がありがたいなと初めて思えた帰省でした。

 

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それでも、「神奈川」から戻ってきて「会津」の森に抱かれると、あぁ帰ってきたなぁとほっとし、癒されました。

 やっぱり暮らす場所としては私はこういう環境がいいなとつくづく思います。

 

会津のご馳走

先日、会津の伝統食をいただく機会に恵まれました。

干し貝柱の出汁から作られる具だくさんの風味豊かなこづゆ。こづゆ椀と呼ばれる専用朱椀で出され、古くから婚礼や仏事など特別なときに作られるものです。

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こづゆ

 

えごはえご海苔と呼ばれる海藻を煮とかして固めたもの(ところてんに似ていますね)で、しょうゆやお酢からしなどをつけていただきます。こちらも古くから婚礼や仏事のときに作られているそうです。

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えご

 

ぜんまいは、採ってから茹で、手揉みを何回もしながら天日で乾燥させなくてはならないとても手間のかかる貴重な山菜。油との相性が抜群です。

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ぜんまいの油炒め

 

スルメイカを使ういかにんじんは福島県中通りの伝統食のようですが、こちらでもよくお見かけします。
山菜の漬物にはワラビをはじめとする山菜のほか、にんじんやセロリ、棒タラ(干物のタラ)がしょうゆベースで漬けられています。 

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いかにんじん、山菜の漬物

 

自分の子どもたちに作っても、あまり食べてもらえないなどの話も聞きますが、私を含む移住してきた者にとっては、大のご馳走。

会津の伝統食は奥深く、まだまだ他にもたくさんあり、その道のりは果てしなく長そうですが、いつか自分でも作れるようになりたいなと思います。

 

 

移住者インタビューその8

倉根 裕之さん(51歳)

埼玉県出身。平成6年10月に三島町に移住され、もうすぐ26年目を迎えます。桐たんすに魅せられ、会津タンス株式会社で職人としてお仕事されています。

 

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三島町へと移住したいきさつ

 2つの出会いがあって、三島町へとやってきました。

 もともと家具が好きだったこともあり、当時デパートの家具販売員の仕事に就きました。その売り場には、新潟県で作られた桐たんすが置いてあったのですが、その立派な桐たんすにすっかり魅了されてしまいました。今までカントリー調の黒っぽい茶色の家具が好きでしたが、照明に当たって黄金色に輝くその真新しいたんすは、自分が知っている家具とは全くの別もののように目に移り、その美しさに目を奪われました。今まで桐たんすにも、また作るということにもまるで興味がありませんでしたが、突如自分も桐たんすを作りたいという想いが湧いてきました。それが一つ目の出会いです。

 その売り場に新潟県の桐たんす屋さんから販売員として来ていたおじいさんが、転職して職人の世界に入ることもできるという話をしてくださいました。職人の世界というのは中高生の頃から弟子入りしなくてはならないと漠然と思っていたのですが、全くの未経験者である自分にも可能性があるとわかりました。

 

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桐は気密性が高いので、一つの段を閉じると別の段が出てくる

 

 そこで、物産展などで出入りしていた会津若松市の桐たんす屋さんを同僚に紹介してもらい、現地見学に行きました。その時、駅まで送ってくれた従業員の方が、自分と同じような形で転職して職人の道へ入った方だったのですが、「何も基礎がない状態で入ると、配達や販売などの業務ばかりになる可能性があるから、多少の基礎を身につけてから来た方がいい」とアドバイスをくださいました。他にも新潟県静岡県などを見学しましたが、会津がいいと思い、平成6年4月に引越しをし、まずは会津若松市にあるポリテクセンター(職業訓練校)で木工を習うことにしました。

 

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桐材のねじれを熱で直す機械

 そこで、2つ目の出会いが待っていました。

 今の職場に内定が決まっていた三島町出身の同僚も、同じタイミングでポリテクセンターに通っており、彼との出会いが三島町へとつながりました。通っていた人のほとんどが自分たちよりずっと年配で、多少年齢の近かった彼と話すようになりました。当初は「三島から来た」と聞いても、静岡県三島市と思っていたくらい三島と聞いてもピンと来ず、桐と結びつきませんでした。

 ここで、機械の扱い方や、かんな、ノコギリ、みのの使い方などを一通り習いましたが、とてもいい先生がいて、授業が終わっても二人で残り色々と教わりました。6か月のコースが終了し、いざ就職先をどうするかと考える段階になり、その先生が勧めてくださったこともあり、同僚の就職先である会津桐タンスへと見学に行きました。

 会津若松市からどんどん山深いところへと連れていかれ、大丈夫かと思いましたが、この日はお天気に恵まれた素晴らしい日で、三島町はとてもいい印象でした。会社の人も「来たいなら来たらいいよ」という雰囲気だったので、「では」という感じで来てしまいました。

 

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材をボンドでつけ板にする

桐たんすについて

 桐製品ができるまでには、材をそろえ、下ごしらえをする段階と、組み立て仕上げをする段階があります。下ごしらえを若手が、仕上げをベテランがやります。

 就職した当初は桐たんすの需要もあり、職人さんも多くいましたが、時代とともにたんすが売れなくなり、職人さんはどんどん減っていきました。下が入ってこなかったので、私は下ごしらえの時期が長く、なかなか仕上げに上がれませんでした。この6~7年は長く挫折しそうになりましたが、ようやく仕上げができるようになったときは本当にうれしかったです。最初は文具箱を作りました。

 今は色々な製品を作りますが、自分がたんすを作るという夢は、状況から考えると現実味がなくなり、それはさみしく切ない部分でもあります。それでも、このように桐のものづくりに関われるのは幸せなことです。一目惚れした桐ですが、今も桐でできたものに一番惹かれます。軽さと、ふんわりとした温かさ、手触りは扱っていても魅力的です。

 

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現在作成中の収納ケース

暮らしについて

 空き家を借りて住んでいます。いわゆる居ぬき物件で、トイレなどの改修も全くせず、そのままの状態で住んでいます。ものがそのまま残っていても、配置を換え、少しずつ自分の住みやすい空間に整えていく、その過程が楽しいです。これで完璧だと思う頃になると、所有者の方の都合などで引越しをしなくてはならず、残念でした。その度ごとに、色んな方に手伝ってもらいながら数回町内で引越しをしました。数カ月ほど町営の集合住宅に住んだこともありましたが、整然としすぎているというか、配置が決まっていて面白くないというか、どうも落ち着かず、自分には合いませんでした。

 ようやく現在の家に落ち着くことができ、住み始めて10年ほどになります。只見川を眺めることができ、隣近所に家もなく音を気にする必要がないので、趣味の笛を心ゆくまで吹くことができます。今までで一番いい環境かもしれません。しかし、その分獣や虫もいっぱいいます。蛇が出入りする穴は最近ふさぎましたが、古い家なので色々なものが隙間から出入りしています。

 不便なこと、大変なことに抵抗せず、自分を変えていく、自分を環境に合わせていくことが大事なのではないかと思っています。長く住んでいると新鮮さがなくなり、大変さばかりが目に付くようにもなりますが、いいところの裏を返すと大変なことで、裏表の関係ですよね。木がたくさんあり、自然が豊かだということも裏を返せば、虫がいるということ。雪もしかり。当初はここの雪に感動し、きれいだなと思っていましたが、いつしか除雪などの大変さばかりを思ってしまう自分がいます。それでも、やっぱり、雪は美しいですね。

 三島に来て25年が経ち、そろそろ埼玉での時間を逆転し、こちらでの生活の方が長くなっていきます。こんなに長くここにいられるのはこの会社があり、ものづくりに専念できる環境があるからであり、ありがたいなと思っています。

 

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インタビューを終えて

 桐たんすとの出会い、三島町へ至るまでの経緯、お話を聞いていると、ぐんぐん引き込まれ、私もすっかり桐たんすが好きな気持ちになってしまいました。

 最初はすべてが目新しく、新鮮で感動するけれど、少しずついい面だけじゃないことも見えてくる。これは移住に限らず何にも当てはまることですが、そういうときにどうするのか・・・自分を変えていく、合わせていくしかないと頭ではわかっていても難しいものですが、倉根さんの経験に裏付けされたお話は心に響きました。この大らかさ、柔軟さゆえに、ご本人も感慨深く驚くほど長く移住地で暮す秘訣のだなと感じました。